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「荻原重秀の献策ー貨幣改鋳」

『折りたく柴に記』
「今、重秀が議り申す所は、『御料すべて四百万石、歳々に納めらるる所の金は凡七十六万両余、此内、長崎の運上というもの六万両、酒運上というもの六千両、これら近江守(荻原重秀)申し行ひし所也。此内、夏冬御給金の料三十万料余を除く外、余る所は四十六七万両余也。しかるに去歳の国用、凡金百四十万両に及べり。此外に内裏を造りまいらせらるる所の料、凡金七八十万両を用ひらるべし。されば今国財の足らざる所、凡百七八十万両に余れり。たとひ大喪の御事なしといふとも、今より後、取用ひらるべき国財はあらず。いはんや、当時の急務御中陰の御法事料、御霊屋作らるべき料、将軍宣下の儀行はるべき料、本城に御わたましの料、此外、内裏造りまゐらせらるべき所の料なり。しかるに、只今、御蔵にある所の金、わづかに三十七万両にすぎず。此内、二十四万両は、去年の春、武相駿三州の地の灰砂を除くべき役を諸国に課せて、凡そ百石の地より金弐両を徴れしところ凡そ四十万両の内、十六万両をもて其の用に充てられ、其の余分をば城北の御所造らるべき料に残し置かれし所なり。これより外に、国用に充らるるべからず』といふなり。前代の御時、歳ごと に其出るところの入る所に倍増して、国財すでにつまづきしを以て元禄八年の九月より金銀の製を改造らる。これより此かた、歳々に収められし所の公利、総計金凡五百万両、これを以てつねにその足らざる所を補ひしに、おなじき十六年の冬、大地震によりて傾き壊れし所々を修治せらるるに至て、彼歳々に収められし所の公利も忽につきぬ。そののち、また国財たらざる事、もとのごとくなりぬれば、宝永三年七月、かさねて又銀貨を改造られしかど、なほ歳用にたらざれば、去年の春、対馬守重富がはからひにて、当十大銭を鋳出さるる事をも申行ひ給ひき 此大銭に事は近江守もよからぬ事の由申せし也 『今に至て此急を救はるべき事、金銭の製を改造せたるるの外、其他あるべからず』と申す。(中略)当時国財の急なる事に至ても、近江守が申す所心得られず。其の故は彼の申す所による時は、今歳の国用に充つべきものわずかに三十七万は、即是去々年の税課なり。されば今年の国用となさるべき所は、たとひ彼の申す所のごとくなりとも、去年納められし所の金七十六万両と、今ある所の金三十万両とをあはせて、総計一百十余万両のあるべし。また当時の急に用ひらるべき物も、各色まづ其の 価を給らざれば、其の事弁ぜずといふにもあらず。其の事の緩急にしたがひ、一百十余万両の金をわかちて、或ひは其の全価をも給り、或ひは其の半価をも給りて、来年に及びて其の価をことごとく償はれんに、其の事弁じ得ずといふ事なかるべし」



史料
現代語訳や解説については下記を参考にしてください
『詳説日本史史料集』(山川出版社)
『精選日本史史料集』(第一学習社)
『日本史重要史料集』(浜島書店)
『詳解日本史史料集』(東京書籍)