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「畿内綿作の発展」

『日本永代蔵』
「川ばたの九助とて小百姓ありしが、牛さへ持たずして角屋作りの浅ましく住みなし、幾秋か一石二斗の御年貢をはかり、五十余迄同じ額にて、年越の夜に入りてちひさき窓も世間並に鰯の首柊をさして、目に見えぬ鬼に恐れて、心祝ひの豆うちはやしける。夜明けて是を拾ひ集め、其中の一粒を野に埋みて、もし煎豆に花の咲く事もやと待ちしに、物は諍ふまじき事ぞかし。其の夏青々と枝茂りて、秋は自から実入りて、手一合にあまるを溝川に蒔捨て、毎年かり時を忘れず、次第にかさみて、十年も過ぎて八十八石になりぬ。是にて大きなる灯篭を作らせ、初瀬海道の闇を照らし、今に豆灯篭とて光を残せり。諸事の物つもれば、大願も成就する也。此九助此心から次第に家栄え、田畠を買ひ求め、程なく大百姓となれり。折ふしの作り物に肥汁を仕掛け、間の草取り水を掻きければ、自から稲に実のりの房振りよく木綿に蝶の数見えて、人より徳を取る事、是天性にはあらず。朝暮油断なく鍬鍬の禿る程はたらくが故ぞかし。万に工夫のふかき男にて、世の重宝を仕出しける。鉄の爪をならべ、細攫といふ物を拵へ、土をくだくに是程人の助けになる物はなし。此外、唐箕・千石通し、 麦こく手業をとけしなかりしに、鉾竹をならべ、是を後家倒しと名付け、古代は二人して穂先を扱きけるに、力も入れずして、しかも一人して、手廻りよく是をはじめける。其後女の綿仕事まだるく、殊更打綿の弓、やうやう一日に五斤ならでは粉馴ぬ事を思ひめぐらし、もろこし人の仕業と尋ね、唐弓といふ物ははじめて作り出し、世の人に秘して横槌にして打ちける程に、一日に三貫目づゝ雪山のごとく繰綿を買込み、あまたの人を抱へ、打綿、幾丸か江戸に廻し、四五年のうちに大分限になりて、大和に隠れなき綿商人となり、平野村・大坂の京橋富田屋・銭屋・天王寺屋、いづれも綿問屋に毎日何百貫目と言ふ限りもなく、摂河両国の木綿買取り、秋冬少しの間に毎年利を得て、三十年余りに千貫目の書置して、其の身一代は楽といふ事もなく、子孫の為によき事をして、八十八にて空しくなりぬ」



史料
現代語訳や解説については下記を参考にしてください
『詳説日本史史料集』(山川出版社)
『精選日本史史料集』(第一学習社)
『日本史重要史料集』(浜島書店)
『詳解日本史史料集』(東京書籍)