(s0718)

「シドッチの尋問」

『西洋紀聞』
「大西人に問ふに、其の姓名・郷国・父母等の事を以てす。其の人答て、『我名は、ヨワン・バッティスタ・シローテ。(中略)我幼よりして、天主の法をうけ、学に従ふこと廿二年、師とせしもの十六人、ローマンにありて、サチェルドスに至り、六年前に、一国の薦挙によりて、メツショナナリウスになされたりき。初、本師の命をうけて、此土に来るべき事を奉りしよりして、此土の風俗をうけて、ペッケンにゆくべし。三年の前、二人、をのをのカレイ一隻づつに乗りつれ、ヤネワを歴て、カナアリアに至り、ここにてまたフランスヤの海舶一隻づつに乗りて、つゐにロクソンに至れり。これよりして、トーマス・テトルノンは、ペッケンにおもむき、我は此土におもむく。海上忽に風逆し、浪あらくして、船覆らむとせし事、三たびに及びしのち、はじめて此土に至る事を得し』といふ。(中略)
『我国の風俗語言は、いかなる人に就て、訪ひ学びしにや』と問ふに、其の懐にせに小冊子を取出て、『これら此土の事を記せし所なり。またロクソンに至りとどまれる時に、此国の人にあひて、訪ひ学びし事どももありき』といふ。其の小冊子の名、一つをばヒイタ・サントールムといふ。これ我国の事を記せし所なり。一つをばデキショナアリヨムといふ。これ我国のことばをしるして、彼方の語を以て翻訳せし所なり。ロクソンにて、我国の人にあひしとは、『もとよりかしこにありし我国人の子孫、すでに多く、また三年前に去れ国人の風に放されて、かしこに至りし十四人有しにあひて、此土の事ども、たづねとひし』といふ」



史料
現代語訳や解説については下記を参考にしてください
『詳説日本史史料集』(山川出版社)
『精選日本史史料集』(第一学習社)
『日本史重要史料集』(浜島書店)
『詳解日本史史料集』(東京書籍)