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「明暦の大火」

『むさしあぶみ』
「扨も明暦三年丁酉、正月十八日辰の刻ばかりのことなるに、乾のかたより風吹出し、しきりに大風となり、ちりほこりを中天に吹上て、空にたなびきわたる有さま、雲かあらぬか、煙のうずまくか、春のかすみのたな引かと、あやしむほどに、江戸中の貴賎門戸をひらきえず、夜は明けながらまだくらやみのごとく、人の往来もさらになし。やうやう未のこくのおしうつる時分に本郷の四丁目西口に、本妙寺とて日蓮宗の寺より、俄に火もえ出で、くろ煙天をかすめ、寺中一同に焼あがる。折ふし魔風十方にふきまはし、即時に、湯島へ焼出たり。はたごや町より、はるかにへだてし堀をとびこえ、駿河台永井しなのの守・戸田うねめのかみ・内藤ひだのかみ・松平しもふさの守・津軽殿・そのほか数ケ所、佐竹よしのぶをひじめまいらせ、鷹匠町の大名小路数百の屋形、たちまちに灰燼となりたり。(中略)
 扨又、右のするがだいの火、しきりに須田町へもえ出て、一筋は真直に通りて、町屋をさして焼ゆく。今一筋は、請願寺より追まはして、押来る間、江戸中町の老若。こはそもいかなる事ぞやとて、おめきさけび、我も我もと家財雑具をもち運び、西本願寺の門前におろしをきて、休みけるに、辻風おびただしく吹きまきて、当寺の本堂より始めて、数か所の寺々,同時に鬨と焼たち、山のごとく積あげたる道具に火もえ付しかば、集りゐたりし諸人、あはてふためき、命をたすからんとて井のもとに飛び入、溝の中に逃入ける程に、下なるは水におぼれ、中なるは友におされ、上なるは火にやかれ、ここにて死するもの四百五十余人なり。 さて又はじめ通り町の火は、伝馬町に焼きたる。数万の貴賎、此よしを見て、退あしよしとて、車長持を引つれて、浅草をさしてゆくもの、いく千万とも数しらず。人のなくこゑ、くるまの軸音、焼くずるる音にうちそへて、さながら百千のいかづちの鳴おつるもかくやと覚へて、おびただしともいふばかりなし。親は子をうしなひ、子はまたおやにをくれて、おしあひ、もみあひ、せきあふ程に、あるひは人にふみころされ、あるひは車にしかれ、きずをかうぶり、 半死半生になりて、おめきさけぶもの、又そのかずをしらず」



史料
現代語訳や解説については下記を参考にしてください
『詳説日本史史料集』(山川出版社)
『精選日本史史料集』(第一学習社)
『日本史重要史料集』(浜島書店)
『詳解日本史史料集』(東京書籍)