(s0740)

「旗本の窮乏」

『世事見聞録』
「なべて武家は大家も小家も困窮し、別て小禄なるは身代甚だ苦しく、或は父祖より持伝へたる武具、或は先祖の懸命の地に入りし時の武器、其外家に取りて大切の品をも心なく売払ひ、又拝領の品をも厭はず質物に入れ、或は売物にもし、又御番の往返、他行の節、馬に乗りしも止め、鑓を持たせしを略し、侍若党連れたるも省き、又衣類も其甚敷に至りては、御番に出る時は質屋より偽りて取寄せ着用いたし、帰りたる時は直に元の質屋へ帰すなり。下人ども是を嘲りて、上げ下げの上下を着て御番の上り下りを致すとて主人を侮り、又内は火がふり雨が降る如く其の家を謗るなり。扨又此の如く朝暮の調度不都合なる故に家の規矩立たず、自然と主人の威も衰へ、妻子を始め厄介等の行状崩れ、家来も突上り、殊に極りの通りの切米給金等を渡さず、後には毎度催促に逢度毎に主人の方より詫るやうになり、用事を申付るにも気を兼頼むやうに成り、後には主従同輩のごとく成行き、或ひは妻子どもの内馴合抔出来て不義不埓なる事を仕出し、又町家の下郎など入込しを幸に、困窮なる内の用弁など頼みて、いつとなく朋友のやうに成り、恣に無礼に振廻はれ、又は欺き犯され、又知行 所は年来虚く、殊に兼々小身と侮らる上に様々偽り欺く故、百姓共拒み背きて地頭の難渋を更に聞入れず。(中略)一体御料所又は大名の領分などは、古来より検地も入高も増し、年貢も追々取増しけれども、小給所は其の後検地も入らず、却て荒地其の外彼是名目を付て古来の取箇よりも、減少したるなり。其の上右体地頭の身上始め、行状心底迄も、能く呑込て気嵩に成り、動ともすれば、小身の地頭を偽り頭支配へ訴出、又は御駕篭訴など致し、又は左までもなき事に門訴など企て、大勢群立、箕笠鍬鎌等の騒動と成り、地頭を仕置するにいたるなり。是の如く地頭の権威を失ふは、不勝手不始末より起こるにはあれども、夫のみのもあらず。一体小身の地頭は、百姓は仕置する道絶てなき故なり。小身の地頭は、村払にするも、奉行所差出にするか、是が重畳の仕置なれども、村払などは一向におそれず、また大勢の村払も出来ず、又地頭と百姓との間柄の事は、差出すべき趣意にも当らず。又差出したる迚も、奉行所に於て、果敢々々敷裁断もなく、兎角隠に治るを、専要とする故、地頭に不害を勧めて、事を治る故、地頭の趣意をば不足して、百姓は地頭に逆らひたるが勝に成て仕廻ふなり」



史料
現代語訳や解説については下記を参考にしてください
『詳説日本史史料集』(山川出版社)
『精選日本史史料集』(第一学習社)
『日本史重要史料集』(浜島書店)
『詳解日本史史料集』(東京書籍)