「同十九日暮ころに、三五郎海上にて昆布を見つけ、船は地方近く成たるぞと言ける故、皆々大きに力を得いさみ悦びける。同廿日の暁に磯吉小便に起出て、嶋の如きものを見つけけれども、年少き者の事なれば仔細に見るにも及ばず、例の雲の凝たるならんと思ひて、其の侭に入て臥たりける。夜明に小市樓に出、寅卯の方を見たるに、靄にてさだかならね共、嶋のかたち見えける故、船中の者共を呼おこせば、皆々樓にかけ上りて見るうちに、もやも次第に晴渡り、四ツ時頃には山もはきと分り、雪なども見え、いよいよ島と見定めければ、船中の悦いはんかたなし。されども柁さへなき事なれば、船をよすべき手だてもなく、又もや地方に風立なば、眼前に嶋を見かけながら、もとの洋中に吹戻されもやせんと、様々に心くだき、舳を艫にふり直し、小き帆を拵へ、縄を二条柁にひかせ、漸未の刻ばかりに嶋に近づき、四五丁計はなれて、本船に碇をおろし、三五郎、次郎兵衛は此の程より病気にて枕もあがらざりし故、本船の内にて哨船に乗せ、とやかくして吊おろし、太神宮の宮居を遷し、粮米二俵、薪四五束、鍋、釜、衣服、臥被までも積のせ、光大夫は佩刀をさし、自分荷物の
木綿市行李つみいれ、合船一同に乗移り磯辺にのり付たるに、一円に木も生ぜざる小島なり。兎角する間に此方の船を見かけ、嶋人等十一人、何れも被髪にて髭短面色赤黒く跣足にて、鳥の羽を綴りたる膝のかくるゝばかりなる衣を着、棒のさきに雁四五隻宛結着たるをうちかたげ、山の腰を伝ひ来り磯ぎはで出合たるに、人とも鬼とも更に弁がたし。何やらん言かくれども一向に言語通ぜず」 |