(s0751)

「宣長の古典研究」

『古事記伝』
「 此の記の優れる事をいはむには、先ず上代に書籍と云物なくして、たゞ人の口に言伝へたらむ事は、必ず書紀の文の如くには非ずて、此の記の詞のごとくにぞ有りけむ。彼はもはら漢に似るを旨として、其の文章をかざれるを、此れは漢にかゝはらず、古の語言を失はぬを主とせり。抑も意と事と言とは、みな相称へる物にして、上代は、意も事も言も上代、後代は、意も事も言も後代、漢国は、意も事も言も漢国なるを、書紀は、後代の意をもて、上代の事を記し、漢国の言を以て、皇国の意を記されたる故に、あひかなはざること多かるを、此の記は、いささかもさかしらを加へずて、古より云伝たるまゝに記されたれば、その意も事も言も相称て、皆上代の実なり。是もはら古の語言を主としたるが故ぞかし。すべて意も事も、言を以て伝るものなれば、書はその記せる言辞ぞ主には有りける。又書紀は、漢文章を思はれたるゆゑに、皇国の古言の文は、失たるが多きを、此の記は、古言のままなるが故に、上代の言の文も、いと美麗しきものをや。(中略)抑も皇国に古き国史といふ物、外に伝はらざれば、其の体と例に引くは、漢のなるべければ、その体備れりといふも、漢の に似たるをよろこぶなり。もし漢に辺つらふ心しなくば、彼に似ずとて何事かはあらむ。すべて万の事、漢を主として、よさあしさを定むる、世のならひこそいとをこなれ、爰に吾が岡部大人、東国の遠朝廷の御許にして、古学をいざなひ賜へるによりて、千年にもおほく余るまで、久しく心の底に染着たる、漢籍意のきたなきことを、且々もさとれる人いできて、此の記の尊きことを、世人も知初たるは、学の道には、神代よりたぐひもなき、彼の大人の功になむありける。宣長はた此の御蔭に頼て、此の意を悟り初て、年月を経るまにまに、いよよ益々からぶみごころの穢汚きことをさとり、上代の清らかなる正実をなむ、熟らに見得てしあれば、此の記を以て、あるが中の最上たる史典を定めて、書紀をば、是が次に立る物ぞ、かりそめにも皇大御国の学問に心ざしなむ徒は、ゆめ此の意をなおもひ誤りそ」



史料
現代語訳や解説については下記を参考にしてください
『詳説日本史史料集』(山川出版社)
『精選日本史史料集』(第一学習社)
『日本史重要史料集』(浜島書店)
『詳解日本史史料集』(東京書籍)