(s0752)

「骨ケ原の腑分け」

『蘭学事始』
「一、其の翌朝、とく支度整ひ、彼所に至りしに、良沢参り合ふ。其の余の朋 友も皆々参会し、出迎たり。時に、良沢、一つの蘭書を懐中より出して、 披き示して日く、『これは是、ターヘルアナトミアといふ和蘭解剖の書な り。先年、長崎へ行きたりし時、求得て帰り、家蔵せしものなり』といふ。 これをみれば、即ち、翁が此頃手に入りし蘭書と同書・同判なり。『是誠 に奇遇なり』と、互に手をうちて感ぜり。扨、良沢、『長崎遊学の中、彼 地にて習得し、聞置し』とて、其の書を開き、『これはロングとて、肺な り。これはハルトにて心なり。マーグといふは胃なり。ミルトといふは脾 なり』と、指し教へたり。しかれども、漢説の図には似るべきものあらざ れば、誰も、直にみざる内は、心中に、いかにやと思ひしことにてありけ り。
一、これより、各々打連て、骨ケ原の設け置し観臓の場へ至れり。(中略) 其の日も、彼の老屠が彼れの此れのと指示し、心・肝・胆・胃の外に、其 の名無きものを指して、『名は知らねども、己が若きより数人を手に懸け、 解き分けしに、何れの腹内を見ても、此の所にかよふの者ある、かしこに 此の物あり』と示し見せたり。(中略)良沢と相倶に携へ行し和蘭図に照 らし合見しに、一として、其の図にいささか違ふことなき品々なり。古来 医経に説たる所の、肺の六葉・両耳、肝の左三葉・右の四葉などいへる分 ちもなく、腸胃の位置・形状も大に古説と異なり。官医岡田養仙老・藤本 立泉老などは、其の頃まで、七八度も腑分し給へし由なれ共、皆千古の説 と違ひし故、毎度々々疑惑して、不審開けず、其の度其の度に、異状と見 へしものを写し置れ、『つらつら思へば、華夷人物違ありや』など著述せ られし書を見たる事もありしは、これが為なるべし。扨、其の日の解剖事 終わり、迚もの事に骨骸の形をも見るべしと、形場に野ざらしになりし骨 共を拾ひ取りて、かずかず見しに、是亦旧説とは相違にして、ただ和蘭図 に差へる所なきに、皆人驚嘆せるのみなり」



史料
現代語訳や解説については下記を参考にしてください
『詳説日本史史料集』(山川出版社)
『精選日本史史料集』(第一学習社)
『日本史重要史料集』(浜島書店)
『詳解日本史史料集』(東京書籍)