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「報徳仕法」

『報徳記』
「天保十四癸卯年春、下総国大生郷村荒蕪を開き、貧民を安んじ一村再興の道を献ぜよと命ず。先生直に此の村に至り見分するに、人民極貧にして田圃は原野に帰し、民家破壊し衣食乏しくて平年猶菜色あり。先生愀然として日く『今時春陽温暖の候なりといへども、此の村に臨み此の民の困苦を見るに至ては、身体栗々として厳寒に歩するが如し。鳴呼是も亦天民なり、何ぞ貧困此の如くに至るや』是に於て毎戸に其の艱苦の緩急を察し、手づから金を与へて其の急迫を救ふ。村民拝伏涕して恩を謝せり。
村の里正を久馬と言ふ。性多欲にして、下民に利子二割の財を貸し其の利を絞り、償ふことあたはざるものは田圃を取りて我が家田となす。是を以て村民弥々衰弱流氓、遂に此の極窮に迫れり。先生其の衰弊の本を考へ、再盛の道を慮り遂に江都に帰り、再復永安の仕法を調べ之を官に奏せり。官其の道の仁術なるを察し、開業の事を命ぜんとす。時に県令建言する所ありて遂に此事を廃せり。後之を聞くに、里正久馬数年私曲を行ふこと甚だし。一里正の為に、一村無罪の民極窮困苦是の如きに至れり。然るに先生の仕法行はるる時は、自から私曲を逞しくすることあたはずして一身の不利とならん事を恐れ、私に賄賂を行ひ謀計を設けて道を塞ぎたりと云ふ。後数年を経て謀年に至り、県令小林某此事を聞き一村の廃亡せんことを憂ひ、村民に諭すに先生良法を以てし、官に請て以て再復の仕法を先生に委任す。先生已ころを得ず其の需めに応じ、遂に仕法を施し数百金を抛ち貧民を撫し、廃田を開き民屋を修復し再盛の道を行ふ。村民大に悦び始て生養の道を得たりと為す。里正再び姦計を以て村民を誑し、県令の属吏に賄賂し、遂に良法を破り私曲を擅まゝにせり。是に於て仕法之が為に廃せり。村の良 民大に之を歎き、身命をも顧みず数官に事情を訴へ、再び仕法の道を発せんことを請ふ。然れども順序を経ずして直訴するを以て之を県令に下附す、県令頗る属吏の為に惑を取り、良民を叱して之を退け、遂に再興の仕法を廃し、独り里正而已奸曲貪婪を専にすることを得たり。時人村民を憐み里正の奸悪を悪み、良法の中廃を惜まざるはなし」



史料
現代語訳や解説については下記を参考にしてください
『詳説日本史史料集』(山川出版社)
『精選日本史史料集』(第一学習社)
『日本史重要史料集』(浜島書店)
『詳解日本史史料集』(東京書籍)