(s0776)

「おかげまいり」

『浮世の有様』
「福島いかりや吉左衛門といへる者、森口の上にて一つ家をいへる処の親類を訪ひしに、其の村に大和へ縁類有者有ぬるが、大和より其の家を目ざして三百人斗御影躍り出来る。其の様猖々緋の大幟に金糸にて太神宮と縫付しを押立て、男女打混じ、男の分は羅紗・猖々緋等の陣羽織を着し、浮れ立て躍れる様、軍といへるも此の如き者ならんと思ひしといへり。是者共の弁当を仕入し長持、十棹斗も有しと言ふ。
 又予が方へ出入する熊右衛門といへる者、人に雇れて尾張へ行しに、参りかけ森口にて二百人斗踊りぬるに、又橋本にても三百五十人斗躍れるをみる。其の様猖々緋の大昇七本立て、七戸包の長持七棹に御影踊といへる札を立て、寒中なるにこれをかける人足は裸にて雲助の様に仕立て、惣人数御影踊と染込し手拭を持ち、男女共唐皿紗のたち付をはきて躍れる様、願人踊りの如く、弁当は竹にてあみし長持に仕込み、其の数大そう成事なりしと言ふ。
 又大坂吉田の蔵屋敷より、大和小泉の家中なる親類の方へ至し者有り。大に躍りはづめるにぞ、『何故此の如くにいかれぬるや』と尋ねしに、『惣て作物例年に倍し、別て綿は常に倍して多く得し上に、当年諸国不作にて直段高かりし故、倍々の利を得たり。御影に非ずして此の如き事有べからず、躍らずに居らるべきかは』とこたへしといへり。又俵本は織田の領分なるが、『御蔭躍すべからず。若これをなさば、発頭人を召捕、厳科に行べし』となりしかば、一統に起り立、毎家に残らず出て大に躍りをなし、『領中残らず厳科に行はれべし。一人の残るべからず』とて、大に躍り廻り、地頭も詮すべなし云ふ。又柳生には、『御蔭躍の事なれば随分躍るべし。去ながら、毎家に一人づゝならでは出る事なかれ』と触有しに、これをばよく守りしと云ふ」



史料
現代語訳や解説については下記を参考にしてください
『詳説日本史史料集』(山川出版社)
『精選日本史史料集』(第一学習社)
『日本史重要史料集』(浜島書店)
『詳解日本史史料集』(東京書籍)