(s0787)

「開国計画の風聞」

『日本図絵』
「 彼らの虚栄心は、肉体的な訓練にも、精神的完成にも、他人に勝ることを絶え間なく強いる。彼らは上達するほど、あらゆる珍奇なる物を自らの眼でみる望みを強め、それらに関する記述が彼らの想像を一層駆立てる。眼を周辺諸国民に転ずるとき、外国品の入国は政府にとって有害なものでなくみえてくる。さらに彼らの国への異国人の入国さえも、彼らが漠然としてしか持ち合わせていない各種の技術や科学を学びとる手段を提供するに違いないと思われてくる。執政松平津守をして一七六九年に、大小の船舶を建造して日本人の外国訪問の便を容易にするとともに、異国人を日本に誘い入れる計画へと導いたものは、まさにそれであった。この計画は、同執政の死によって軌道にのることなく終った。
 しかし、最高の地位にあり、また政治に密接に通じていた日本人の多くは、なお日本を政界第一の帝国であると考え、いささかもそこから脱け出ようとはしなかった。それらの人々は、最も進んだ人々から『井のうちのかわず』と呼ばれていたのだが。(中略)知者の眼は、永い間、田沼山城守の上に注がれ続けていた。将軍の伯父である老中主殿頭の子息で非凡の能力を持ち、かつ進取の精神の青年であった。人々は彼が父の跡を継ぐとき、途を拡げてくれることを期待していた。彼が執政に就任したのち、彼と彼の父はさまざまの革新を導入したことによって王朝の貴族たちの憎悪を招いた。貴族たちは帝国の平安に有害であるとして非難したのである。一七八四年五月一三日、佐野善左衛門によって彼が暗殺されたことは、私の日本年表に記した通りである。この犯罪は、日本を外国人たちに開放し、またはその住民に他国を訪れることの始まる希望に全くの終止符を打った」



史料
現代語訳や解説については下記を参考にしてください
『詳説日本史史料集』(山川出版社)
『精選日本史史料集』(第一学習社)
『日本史重要史料集』(浜島書店)
『詳解日本史史料集』(東京書籍)