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「定信の海防論」

『宇下人言』
「海辺の御備の事、かねがね予建議してすでに言上にも及び、伊豆殿しらべられ候へなどかねていひけるに、いまにそのさたなし。しかるに赤人直にも江戸へ来るべしといふは、江戸の入海の事なり。房相二総豆州は小給所多く、城などいふものも少なく、海よりのり入れば永代橋のほとりまでは外国の船とても入り来るべし。さればこのときに至りては、咽喉を経ずして、ただに腹中に入るともいふべし。しかるに三崎・走水なんどに遠国奉行さしをかれしを、宝永のころ廃さる。下田の奉行を享保のころ浦賀へうつされたり。(中略)さて予かねて建議せんは、房総なんどに遠国奉行を置かるべきにも、常は何のつとめもなければ、後々は極めて外の奉行の老たる、又は算利にくわしからざる徒などの転ずべき職となり、下役なんども只農夫漁夫の如く成るべし。さればせんなし、今寄合の衆のうち万石以上のあと名跡にて、めし出されしもの多かるべし。このうちの人を猶も撰て代々五位に仰付けられ、一ケ所に両人づつも土着にし、千石ほどの高、少なきは御加増を下され然るべし、その下役は小普請のうち、百俵以下・御目見以上を海手上番とし、御役料など下され遣はさるべし。 御目見以下・上下格の五十俵以下を下番としてこれ又土着にす。一ケ所に二三十人も遣はさるべし。左すればそのやしきは上りて火徐地のかへちとなるべし。その人も是迄数代御足高にあらざれば、御役出成りがたきものどもが、代々御役料下され候はありがたく、ことに弓炮修行の間には漁業をなせば、船上の働など後々はすぐるべしとくわしく言ひ出せしに、実に奇妙の建議とて人々服しぬ。尤も、重き御かたがたへも伺の上、上旨伺しに可せられけり」



史料
現代語訳や解説については下記を参考にしてください
『詳説日本史史料集』(山川出版社)
『精選日本史史料集』(第一学習社)
『日本史重要史料集』(浜島書店)
『詳解日本史史料集』(東京書籍)