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「日米修好通商条約」

『幕末外国関係文書』
「日本国亜墨利加合衆国修好通商条約並貿易章程
第一条 向後日本大君と、亜墨利加合衆国と、世々親睦なるべし。(中略)
第二条 日本国と欧羅巴中の或る国との間に、もし障り起こる時は、日本政府 の嘱に応じ、合衆国の大統領、和親の媒となりて扱ふべし。(中略)
第三条 下田・箱館の外、次にいふ所の場所を左の期限より開くべし。
神奈川 午三月より凡十五箇月の後より西洋紀元千八百五十九年七月 四日 
    長崎  同断   同断
    新潟  午三月より、凡二十箇月の後より  西洋紀元千八百六十年 年一月一日
兵庫  午三月より、凡五十六箇月の後より 西洋紀元千八百六十三 年一月一日
    若し新潟港を開き難きことあらば、其代わりとして同所前後に於て一 港を別に撰ぶべし。神奈川港を開く後六ケ月にして、下田港は閉鎖すべ し。
    此ケ条の内に載たる各地は、亜墨利加人に居留を許すべし。
    (中略)
     江戸 午三月より凡四十四箇月の後より  千八百六十二年一月一 日 
     大坂 午三月より、凡五十六箇月の後より 千八百六十三年一月一 日
    右二ケ所は、亜墨利加人唯商売を為す間にのみ、逗留する事を得べす。 (中略)
双方の国人品物を売買する事、総て障りなく、其の払方等に付ては、 日本役人これに立合はず、諸日本人亜墨利加人より得たる品を売買し、 或ひは所持する、倶に妨なし。
    軍用の諸物は日本役所の外へ売るべからず。(中略)
第四条 総て国地に輸入輸出の品に、別冊の通、日本役所へ運上を納むべし。 (中略)
阿片の輸入厳禁たり。若し亜墨利加商船、三斤以上を持渡らば、其の 過量の品は日本役人これを取上ぐべし。(中略)
第五条 外国の諸貨幣は、日本貨幣同種類の同量を以て通用すべし。金は金、 銀は銀と、量目を以てひかくするをいふ。(中略)
第六条 日本人に対し法を犯せる亜墨利加人は、亜墨利加コンシュル裁断所に て吟味の上、亜墨利加の法度を以て罰すべし。亜墨利加人へ対し法を 犯したる日本人は、日本役人糺の上、日本法度を以て罰しべし。
第七条 日本開港場の場所に於て、亜墨利加人遊歩の規定左の如し。
  神奈川、六郷川筋を限とし、其他は各方へ十里(中略)
第八条 日本にある亜墨利加人、自ら其国の宗法を念じ、礼拝堂を居留場の内 に置くも障りなく、並に其建物を破壊し、亜墨利加人宗法を自ら念ず るを妨る事なし。(中略)
双方の人民、互に宗旨に付ての争論あるべからず。(中略)
第十三条 今より凡百七十一箇月の後 即ち千八百七十二年七月四日に当る  双方政府の存意を以て、両国の内より一箇年前に通達し、此の条約 並に神奈川条約の内存置く箇条及び此の書に添たる別冊ともに、双 方委任の役人実験の上、談判を尽し、補ひ或ひは改むる事を得べし。
第十四条 右条約の趣は、来る未年六月五日 即1859年7月4日 より執行ふ べし」



史料
現代語訳や解説については下記を参考にしてください
『詳説日本史史料集』(山川出版社)
『精選日本史史料集』(第一学習社)
『日本史重要史料集』(浜島書店)
『詳解日本史史料集』(東京書籍)