(s0841)

「井伊政権下の幕府」

『幕末外交談』
「其の施政上には、往々泰西の文学・技術を忌むの跡あり。(中略)安政二年二月に、ながさきにて海軍伝習を、荷蘭人に受ることを停め、同じ月に、講武所にて銃隊調練に、専ら西洋式を用ゆべからざるを戒め、万延元年に到り、全くこれを停めたるのみならず、安政四年九月より廓門の守衛に西洋式銃を用ひたりしをも、其の旧に復して、再び弓を飾らしめたるが如き、(中略)岩瀬、永井の人々をはじめ、泰西文物の長を取り、改革進歩の政略を取らんとせし諸賢は、皆此の時に擯斥せられ(中略)、阿部閣老已来の政略は、一頓挫して、専ら保守に傾きたるは、正しく目に見し所にして、当時有志のものは誰もしか信ぜしなるものと思ふ。其の他、阿部閣老の時には、事簡易を宗とし、諸侯及び各有司の、遠途騎行の事など許されたるも、此の時に停られ、元の如く繁縟委瑣の政に復せしものあり。皆保守の精神に出づるものといふべし」



史料
現代語訳や解説については下記を参考にしてください
『詳説日本史史料集』(山川出版社)
『精選日本史史料集』(第一学習社)
『日本史重要史料集』(浜島書店)
『詳解日本史史料集』(東京書籍)