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「天保の飢饉」 |
『三川雑記』 |
「一、天保四年癸巳の夏はことの外冷気にて土用中に袷衣をつけ、或ひは綿衣
をきる日もあり。百穀登らず、出羽・越後尤も甚く、引つゞき南部・津軽 皆無同断。仙だい・会津・上州・野州は半作のつもりの所、八朔の風雨に
てすれ合ひ、よくて二三分の世の中なるべきとぞ。房総二州并びに常陸津 浪の由、常陸尤も甚く、江戸より東、家の潰れ候事諸国夥き事にて並木の
大木倒れ候事数知るべからず。最上川洪水平日よりは水二丈高く出る。家 を数千軒流し人死夥し。越後は春以来海の猟とんとなき上に米登らず、民
いかんともすべきやうなく、一揆の打こはし始るべく民所所にあつまり相 談するやうすと、信州上田より八月十六日飛脚到来注進す。これは四五十
里あれども、若しやよせ来る事もあらんかとの用心なり。羽州山形領には 米少に付一揆をこる。下田云ふ。南部は当年御国より江戸邸へ送る米はあ
るまじき由。長さき云ふ。津かるも同断。米沢・会津その外諸大名きゝん の用心にて値をいとはず、仙だいへをたのみにて米をかひこみの所、仙だ
いも米乏く江戸へは一切送らず、此せつは隣国へも出さざる由。 一、此節、江戸白米 中白にて 百文に付六合 一合十六文なり 大工左官 の類凡て職人をやとひ候人、日に少くなり妻子を育する事出来申さざる由、 其上凡て野菜に限らず、諸品とも米価につれ貴くなり、一日のくらし方い つもの五倍になり候上、やとひ人なく必至に立つゞきかたき者多く、町方 騒動をこらざればよからんとの評あり。 一、諸式たかく米価日にのぼれども四人ふちほどあれば安穏にてありがたき 事なり」 |
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現代語訳や解説については下記を参考にしてください |
『詳説日本史史料集』(山川出版社) |
『精選日本史史料集』(第一学習社) |
『日本史重要史料集』(浜島書店) |
『詳解日本史史料集』(東京書籍) |