(s0853)
「大塩平八郎の檄文」 |
『改訂史籍集覧』 |
「天より被下候村々小前のものに至迄へ 四海困窮せば天禄永く絶えん。小人に国家を治めしめば、災害並び到ると、昔の聖人深く天下後世人の君人の臣たる者を御誡置かれ候ゆえ、東照神君にも鰥寡孤独におひて尤もあわれみを加ふべくは是仁政の基と仰置かれ候・然るに茲二百四五十年太平の間に、追々上たる人驕奢とておごりを極め、太切の政事に携わり候諸役人とも、賄賂を公に授受とて贈貰いたし、奥向女中の因縁を以て、道徳・仁義をもなき拙き身分にて身を立て重き役に経上り、一人一家を肥し候工夫而已に智術を運し、其の領分知行所の民百姓共へ過分の用金申付け、是迄年貢諸役の甚しき苦む上え、右の通り無躰の儀を申渡し、追々入用かさみ候ゆへ、四海の困窮と相成り候に付、人々上を怨ざるものなき様に成行き候得共、江戸表より諸国一同右の風儀に落入り、天子は足利家已来別て御隠居御同様、賞罰の柄を御失ひに付、下民の怨何方へ告愬とてつけ訴ふる方なき様に乱れ候に付、人々の怨気天に通じ、年々地震火災山も崩れ水も溢るより外、色々様々の天災流行し、終に五穀飢饉に相成り候。此節は米価弥々高値に相成り、大坂の奉行並諸役人共、万物一体の仁を忘れ、得手勝手の政道を致し、江戸へ迴米の世話いたさざる のみならず、五升一斗位の米を買に下り候者共を召捕抔致し、(中略)其上勝手我侭の触書等を差出し、大坂市中遊民許りを大切に心得候は(中略)甚だ以て厚か間敷不届の至り(中略)。且三都の内大坂の金持共年来諸大名へかし付け候利徳の金銀并びに扶持米等を莫大に掠取り、未曽有の有福に暮し、(中略)蟄居の我等最早堪忍成り難し。(中略)此度、有志の者と申合せ、下民を悩まし苦しめ候役人共を先ず誅伐致し、引続き驕に長じ居候大坂市中金持の町人共を誅戮に及び申す可く候間、右の者共の穴蔵に貯へ置き候金銀銭等、諸蔵屋敷に隠し置き候俵米、夫々分散配当致し遣わし候間、摂、河、泉、播の内、田畑所持致さざる者、縦令、所持候共、父母妻子家内の養方出来難き程の難渋者へは、右金米取らせ遣わし候間、何日にても大坂市中に騒動起こり候と聞伝へ候はば、里数を厭ず一刻も早く大坂へ向け馳せ参ず可く候。(中略)此の書付村村へ一々しらせ度候へども数多の事に付、最寄の人家多き候大村の神殿へ張付置き候間、大坂より廻しこれ有り番人どもにしられざる様に心懸け、早々村々へ相触れ申すべく候。(中略)若し大騒動起こり候を承ながら疑惑いたし、駈参り申さず、又は遅参 に及び候はゞ、金持の米金は皆火中の灰に相成り、天下の宝を取失ひ申すべく候間、跡にて必ず我等を恨み、宝を捨る無道者と陰言を致さざる様致すべく候。其の為一同へ触しらせ候。尤も是迄地頭村方にある年貢等にかゝわり候諸記録帳面類は都て引破り焼捨て申すべく候。是往々深き慮ある事にて、人民を困窮させ申さざる積に候。必ず一揆蜂起の企とは違ひ追々年貢諸役に至る迄軽く致し、都て中興神武帝御政道の通り、寛仁大度の取扱に致し、(中略)四海万民いづれも天皇を有難く存じ、父母妻子も養はれ、生前の地獄を救ひ、死後の極楽成仏を眼前に見せ遣わし、尭舜天照大神の御代には復し難くとも、中興の気象恢復とて立戻り申す可く候。(中略) 天命を奉り天討致し候 天保八丁酉 月 日 某 摂河泉播村々 庄屋年寄百姓並小前百姓共江」 |
現代語訳や解説については下記を参考にしてください |
『詳説日本史史料集』(山川出版社) |
『精選日本史史料集』(第一学習社) |
『日本史重要史料集』(浜島書店) |
『詳解日本史史料集』(東京書籍) |