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「幕府の文化統制」

『馬琴日記』
「天保十三年二月九日 今朝、丁子屋小もの使を以て、八犬伝九輯局編五冊、今日売出し候由にて、手紙差添へ、例の如く、右新本二部・肴代百疋、外に遠国行三部、贈り来る。但し、丁子屋等、中本十色絵本版元、此節御吟味中、組合家主預けに相成り候由、申来り候間、心許なく存じ候て、右使の者に尋ね候処、中本作者越前屋長次郎事、為永春水は、四五日以前、手鎖掛られ、家主預けになり、金水等は未だ御沙汰これ無し。右に付、八犬伝売出し延引候へど、苦しかるまじき由にて、今日急に売出し候由、これを申す。右とびら・袋の校合摺も見せられず。且、丁子屋平兵衛御預け中、八犬伝売出し候事、遠慮なき様に思はれ、不安心に存じ候得共、今更致方なく候間、何となく右請取り、返書、お路代筆にて、これを遣す。
 四月六日 市川海老蔵、平日おごりに長じ候由、これを聞く。御吟味中手鎖の由あり。無益の事なれど、記憶の為、筆ついでに識し置しむ。非人かり入れ、弾左衛門へ仰付けられ、小梅辺へ非人牢出来のよし、風聞あり。
 六月十日 四ツ時前、清右衛門来る。 昨日、錦絵類・合巻并びに読本類新版の事、御改正御書付出で候由にて、右写し持参す。読聞せ候間、飯田町書役に写させ、差越し候やう、申付置く。 但し、錦絵・団扇・役者似顔・遊女芸者の絵は相成らず、表紙・袋、色摺相成らず、続物二編の外、相成らず。読本手のこみ候物相成らず。作者・版木師等、実名相識し、町年寄市右衛門へ差出し、出版の節、壱部奉行処へ差出し候様、地本問屋・団扇屋へ仰渡され候事、右の趣に付、以来、我等戯作排斥致すべき旨、了簡致し候事。
 十五日 丁子屋中本一件、去る十二日落着致し、板元七人・画工国芳・板木師三人は、過料五貫文づゝ、作者春水は、咎手鎖五十日、板木はけづり取り、或ひはうちわり、製本は破却の上、焼捨になり候由なり。丁子屋へ見舞口状申入れ候様、申付遣す。
 廿六日 種彦事、小十人小普請高屋彦四郎殿、飯客に悪人これ有り。右一件に付、上り屋へ遣され、屋敷へは宅番つきしといふ。昨日、関鉄蔵咄にて是を聞く。未だ不祥。歌舞伎役者市川海老蔵、年来おごりの御御咎にて、四月中より、御吟味中手鎖の処、去る二十二日落着致し、江戸十里四方御かまひになり候間、同二十二日、成田へ出立致し候よし。泉市噂にこれ聞く。
 八月七日 柳亭種彦、当七月下旬、二十七八日頃病死のよし。今日、泉市方にて噂これ有り。太郎聞き候て、これを告ぐ。田舎源氏の板、町奉行所へ召捕られ候日と同日なりと云ふ。種彦、享年六十歳ばかりなるべし。
 八月廿七日 丁子屋平兵衛、江戸繁昌記一件、去る二十三日に落着致し、作者靜軒は武家奉公御構ひ、平兵衛は所払ひ、雁金屋は過料十貫文、右の本売り候売得金御取上げ、右の書を彫り候板木師は過料、又、右の彫賃御取上げの由なり。これに依り、丁子屋へ見舞の手紙、清右衛門に渡し置く。明日、小伝馬町へ罷越し候に付、届け候由なり。
 天保十四年七月廿七日 今朝五ツ半時頃、丁子屋平兵衛来る。我等対面す。手みやげ三種持参す。八犬伝の事、聖堂付儒者より、林家へ申立て、絶板に成るべき由、ある人より告げられ候者二三人これ有り、種々心配致し、ある人を以て、林家へ内々申入れ、漸く無異の納むべき由、これを告げらる。右に付、八犬伝多く摺込み候内、八重摺等これなく、右に付、久しく無沙汰に成り候よし、申さる。此の余雑談後、四時過帰去す」



史料
現代語訳や解説については下記を参考にしてください
『詳説日本史史料集』(山川出版社)
『精選日本史史料集』(第一学習社)
『日本史重要史料集』(浜島書店)
『詳解日本史史料集』(東京書籍)