(s0868)
「検地反対一揆」 |
『天保義民録』 |
「勝ちに乗ぜし一揆の壮士、鯨波を作って押し寄する其の勢は風雨の如く、哀れ遠藤侯の陣営も今や微塵にならんとす。此時、有志等は荒れたる獅子の群集へ分入り、大音に呼はって日く、今の役人は三上の藩士なり、市野勢にはあらず、今の鉄砲は空筒なり。死人のなきを見て知るべし。遠藤家には怨みなし、鎮まれ鎮まれと呼回り、小旗を打振り指揮すれば、稍々人心も静まりたり。此の戦に双方とも多少の手疵は負ひたれども、幸にして死人とては無かりき。霎時あって平野八右衛門は単身来て一揆軍に向ひ、懐中より証書を取出し渡しけり。(中略)一揆軍に渡したる証書は左の如し。 『一、此度、野州川筋村々見分の儀、願の儀もこれ有り候に付、十万日の間、 日延の儀聞届け候事。 天保十三年寅十月 市野茂三郎 印 石原清左衛門手代 山下五四郎 多羅尾久右衛門手代 柴山金馬 野州川筋村々 惣百姓共え 』 右の証書を認め、更に有志者に渡しけり。有志者等は一揆の中に分入り、此の由を告げ回るも四方有余の人数なれば末々の者はこれは知らず。日の西天に傾くを見て心を苛らだて、陣屋も本陣も皆な尽く火を懸て焼立てよと呼び回るもの多ければ、平野等は大いに心配し、『今月今日より十万日日延の事』斯の如く障子に大書し、これを竿頭に括り付け、陣屋の門上に差し上げたり。一揆はこれを見、これを聞き、ここに願望の成就したるを詳知し、一斉に鯨波を揚げて解散せり。実に天保十三年壬寅十月十六日申の下刻なり」 |
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現代語訳や解説については下記を参考にしてください |
『詳説日本史史料集』(山川出版社) |
『精選日本史史料集』(第一学習社) |
『日本史重要史料集』(浜島書店) |
『詳解日本史史料集』(東京書籍) |