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「真木保臣の大和行幸計画」

『真木和泉守遺文』
「文久三年六月付
親征し給ひて男山までも行幸の時、俄に公卿二員侯伯一員に命じて詔を齎して下すべし。御受の有無は論ずる所にあらず。彼の手に授けすらすれは事済むなり。公卿も豪邁の性あらば可なり。差添の侯伯は大国にて彼の憚る所を用ふべし。詔詞は兼て備、置くべし。其の大意、左の如くにて可ならんか。
人各職有り。君臣異るなし。君に於てこれを廃せば則ち無道たり、臣に於ては則ち不義たらん。今、夷猖獗、呑噬の幾あり。今にして斥けずんば必ず制すべからず。而して朕は無道の罪を得、汝は不義の名を取らん。朕の汝に与ふは、嘗胆臥薪の日なり。然ればこれを□ち竭さざるべからず。これを懲すは、六師を動さざるべからず。朕の意、既に決す。尾張以西は則ち朕が躬らこれを抵し、死を以てこれを守らん。参河以東は朕これを汝に委ねん。(中略)今、□内五国を収め、以て其の資に供せん。且、正さに□を置くの名を正だん。汝、朕の意を体し、宜しく速かに方面を処分し、以て汝の職を奉ずべし」



史料
現代語訳や解説については下記を参考にしてください
『詳説日本史史料集』(山川出版社)
『精選日本史史料集』(第一学習社)
『日本史重要史料集』(浜島書店)
『詳解日本史史料集』(東京書籍)