(s0919)

「小御所会議」

『丁卯日記』
「慶応三年十二月九日条
中山殿より先ず一点無私の公平を以て、王政の御基本建てさせられ度き叡旨の趣御発言にて、夫より徳川氏の弊政、殆ど違勅ともいふべき条々少からず、今内府政権を還し奉るといへども、其の出る処の正邪を弁じ難ければ、実蹟を以てこれを責譲すべしなど、縉紳諸卿論議あるに、土老侯大声を発して、『此の度の変革一挙、陰険の所為多きのみならず、王政復古の初に当って兇器を弄する、甚だ不祥にして乱階を倡ふに似たり。二百余年天下太平を致せし盛業ある徳川氏を、一朝に厭棄して疎外に付し、幕府衆心の不平を誘ひ、又人材を挙る時に当って、斯の政令一途に出、王業復古の大策を建て、政権を還し奉りたる如き大英断の内府公をして、此の大議の席に加へ給はざるは、甚だ公議の意を失せり、速やかに参内を命ぜらるべし。畢竟此の如き暴挙企られし三四卿、何等の定見あつて、幼主を擁して権柄を窃取せられたるや』抔と、したゝかに中山殿を挫折し、諸卿を弁駁せられ、公も亦諄々として、王政の初に刑律を先にし、徳誼を後にせられ候事然るべからず、徳川氏数百年隆治輔賛の功業、今日の罪責を掩ふに足る事を弁論し給ひ、諸卿の説漸く屈せんとする時、大久保一蔵席を進んで申陳しは 、『幕府近年悖逆の重罪而已ならず。此の度内府の所置におゐて其の正姦を弁ずるに、強ち尾越土侯の立説を信受すべきにあらず。是を実事上に見るに加かず。先づ其の官位を貶し其の所領を収めん事を命じて、一毫不平の声色なくんば、其の真実を見るに足れば、速やかに参内を命じ朝堂に立しめらるべし。もしこれに反し一点扞拒の気色あらば、是れ譎詐なり。実に其の官を貶し其の地を削り、其の罪責を天下に示すべし』との議論を発す。岩倉卿是に附尾して其の説を慫慂し、『正邪の分、空論を以て弁析せんより、形迹の実を見て知るべし』と論弁を極められ、二侯亦正論を持して相決せず。三宮尾侯は黙然たれば、中山殿、尾侯は如何と詰らるゝに、容堂の説のごとしと答へらる。薩侯は如何と問はるゝに、一蔵言ふ処のごとしと答へられ、芸侯は土侯に同す。岩大二氏猶正邪を実行に証せん事を強弁して屈せず。諸藩士に議せらるゝに、尾にては田宮如雲、丹羽淳太郎、田中邦之輔、越は中根雪江、酒井十之丞、土は後藤象二郎、神山佐多衛、薩は岩下佐次右衛門、大久保一蔵、芸は辻将曹、久保田平司にして、薩を除くの外は、悉く越土二侯と同論なりといへども、共に是を主張せば、君臣合議雷同 の嫌疑を生じ、却て事を害せん事を恐るゝの意衷、期せずして同一なれば、各顔を見合せて抗せず、唯々諾々たり」



史料
現代語訳や解説については下記を参考にしてください
『詳説日本史史料集』(山川出版社)
『精選日本史史料集』(第一学習社)
『日本史重要史料集』(浜島書店)
『詳解日本史史料集』(東京書籍)