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「主戦論」

『徳川慶喜公伝』
「鳥羽・伏見の戦況を聞き、目のあたり公の東帰を拝し、又負傷兵の続々送還せらるゝる見ては、弥切歯に堪へず。皆日く、『大坂の事、固より毫末も朝廷に敵するの意あるにあらず、君側の奸を掃はんと欲するのみ、不幸にして軍破るといへども、其の誠心は天地に質して疑なし、誓って挽回の策を立て、日月をして、光明ならしめざるべからず』と。又日く、『彼れ官軍といふとも、錦旗の蔭に隠れたる薩長勢のみ、いかでか頚さし延べて打たすべき』と。宣言・檄文・投文など、府の内外に旁午たり。其の一に日く、『内府天朝に対して二心なきは、天下万民の知る所なるに、内府の弟なる因備二侯、さては井伊家を始め、譜代の諸大名をして東征軍に加はらしむるは、名分の廃滅之より甚しきはなし。今天下幼冲にましまして、奸臣権を窃み、詔を矯めて追討の令を下す、苟も人心ある者は、決死して百諌千争するこそ、皇国の大綱・人臣の大義なれ。然るを狗鼠の輩此の大義を知らず、甘んじて姦徒の駆使を受け、東に向ひて旗を翻さんとす、我等は速に義兵を挙げて、君側の奸を誅し名分を正すこと、人臣の大節何者か之に過ぎん。若し然らずして賊徒に駆使せられなば、己不義 に陥るのみならず、又天朝を不明に陥らしむるものなり。庶幾くは気節の士之を四方へ伝へ、天下の義心を鼓舞作興して、綱常を護持せよ』と。(中略)陸海軍、殊に海軍副総裁榎本和泉守陸軍奉行並小栗上野介歩兵奉行大鳥圭介及び新選組の人々などは、概ね戦を主とし、兵を箱根・笛吹に出して官軍を待たんといふもあれば、軍艦の新組織法を建白し、或はは輪王寺宮を奉じて兵を挙げんといふもあり。或ひは又、『君上単騎にて御上洛あらば、士気奮ひて軍機忽に熟せん』と豪語する者あり」



史料
現代語訳や解説については下記を参考にしてください
『詳説日本史史料集』(山川出版社)
『精選日本史史料集』(第一学習社)
『日本史重要史料集』(浜島書店)
『詳解日本史史料集』(東京書籍)