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「廃藩置県断行の過程」

『木戸孝允日記』
「明治四年七月七日、晴、九字前、江藤中弁を訪ふ。十一時帰家。今夕、杉猿村等と約あり。故に二字頃神田邸に至り、杉を訪ふ。時に井上世外今日余を訪ふ。西郷断然同意の返答を聴き、大に国家の為めに賀し、且、前途の進歩もまた此に於て一層するを楽めり。余三年前、大勢を察し七百年封建の体を一破し、郡県の名を与へ、往々天下の力を一にし、天下の人材を養育せんと欲し、百方苦心、同志中数名に談じ、快諾するもの一人に過ぎず。止むを得ずして術を用ひ策を施し種々説破す。先ず、旧幕の朱印の列を廃し、朝廷へ封土を返上し、許す許さざるはただ朝命に随ひ大ひに名分を正すべしと。依て漸く薩大久保等これに応ず。終に版籍返上の挙に至る。然して世間、余より出づるを察し、議論紛紜、殺すべきの説少なからず。同藩中も多くは又余を誹る。同志中も又議論少なからず。図らずも今日に至り、先年非とするものもまた是となる。(中略)
七月九日。昨日来の風雨、今朝に至り、東風尤も烈し。都下の破損数ふべからず。十字参朝。制度の議員不参多し。依て今日は延引。西郷もまた不参也。大久保等大ひに談論、彼、過日来、解せざる処も梢解し有るに似るは、制度の事、皆、末を論じ其本を論ずるもの少なし、依て確立する甚だ難し。二字退出。邸中、破損甚だ多し。今夕西郷兄弟・大久保・大山弥助・井上世外・山形素狂等集会。此度、廃藩論の順序を論ず。知事免職の一条は一般の知事、東京着の上、発令の期合也。余、竊に愚考する、今日迅速に相発し、期限を立て、参百藩の知事を東京へ登るの令を下するに如かずと。然るときは伏さざるものは自ら断然の所致あり、天下諸藩形情を見るに足ると。諸氏同意、談論十二字に及び皆散ず」



史料
現代語訳や解説については下記を参考にしてください
『詳説日本史史料集』(山川出版社)
『精選日本史史料集』(第一学習社)
『日本史重要史料集』(浜島書店)
『詳解日本史史料集』(東京書籍)