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「外交政略論」

『山県有朋意見書』
「(前略)国家独立自衛の道二つあり。一に日く主権線を守禦し他人の侵害を容れず、二に日く利益線を防護す自己の形勝を失はず。何をか主権線と謂ふ、彊土是なり。何をか利益線と謂ふ、隣国接触の勢我が主権線の安危と緊しく相関係するの区域是なり。凡国として主権線を有たざるはなく、又均しく其利益線を有たざるはなし。而して外交及兵備の要訣は専ら此の二線の基礎に存立する者なり。方今列国の際に立て国家の独立を維持せんとせば、独り主権線を守禦するを以て足れりとせず、必や進で利益線を防護し常に形勝の位置に立たざる可らず。利益線を防護するの道如何、各国の為す所苟も我に不利なる者あるときは、我れ責任を帯びて之を排除し、已むを得ざるときは強力を用ゐて我が意志を達するに在り。蓋利益線を防護すること能はざるの国は其主権線を退守せんとするも、亦他国の援助に倚り纔かに侵害を免るる者にして、仍完全なる独立の邦国たることを望む可らざるなり。今夫れ我邦の現況は屹然自ら守るに足り、何れの邦国も敢て我が彊土を窮観するの念なかるべきは何人も疑を容れざる所なりと雖も、進で利益線を防護して以て自衛の計を固くするに至ては、不 幸に全く前に異なる者として観ざることを得ず。
我邦利益線の焦点は実に朝鮮に在り。西伯利鉄道は已に中央亜細亜に進み其数年を出ずして竣功するに及んで、露都を発し十数日にして馬に黒竜江を飲むべし。吾人は西伯利鉄道完成の日は即ち朝鮮に多事なるの時なることを忘る可らず。又朝鮮多事なるの時は即ち東洋に一大変動を生ずるの機なることを忘れ可らず。又朝鮮の独立は之を維持するに何等の保障あるか。此れ豈我が利益線に向て最も急劇なる刺衝を感ずる者に非ずや。
 (中略)
我邦の利害尤緊切なる者朝鮮国の中立是なり。明治八年の条約は各国に先立其独立を認めたり。爾来時に弛張ありと雖も亦線路を追はざるはなく、以て十八年に天津条約を成すに至れり。然るに朝鮮の独立は西伯利鉄道成るを告るの日と倶に薄氷の運に迫らんとす。朝鮮にして其独立を有つこと能はず、折げて安南緬甸の続とならば、東洋の上流は既に他人の占むる所となり、而して直接に其危険を受る者は日清両国とし、我が対馬諸島の主権線は頭上に刃を掛くるの勢を被らんとす。清国の近情を察するに蓋全力を用ゐて他人の占有を抗拒するの決意あるものの如し。従て又両国の間に天津条約を維持するは至難の情勢を生ぜり。蓋朝鮮の独立を保持せんとせば、天津条約の互に派兵を禁ずるの条款は正に其障碍を為す者なればなり。知らず将来の長策は果して天津条約を維持するに在るか、或は又更に一歩を進めて聯合保護の策に出て以て朝鮮をして公法上恒久中立の位置を有たしむべきか、是を今日の問題とす。(中略)上に陳ぶる所の利益線を保護するの外政に対し、必要欠く可らざるものは第一兵備、第二教育是なり。
現今七師団の設は以て主権線を守禦するを期す。而して漸次完充し、予備後備の兵数を併せて□数二十万人を備ふるに至るとき、以て利益線を防護するに足るべし。又海軍の充実を怠らず、年を期して目的を一定し事業を継続し、中ごろ退歩せざるは尤必要とする所なり。
国の強弱は国民忠愛の風気之が元質たらずんばあらず。国民父母の邦を愛恋し死を以て自守るの念なかりせば、公私の法律ありと雖も、国以て一日を自ら存すること能はざるべし。
国民愛国の念は独り教育の力以て之を養成保持することを得べし。欧州各国を観るに、普通教育に依り其国語と歴史と及他の教化の方法に従ひ、愛国の念を智能発達の書紀に薫陶し油然として発生し、以て第二の天性を成さしむ。故に以て兵となるときは勇武の士となるべく、以て官に就くときは純良の吏となるべく、父子相伝へ隣に愛感化し、一国を挙て党派の異同各個利益の消長あるに拘はらず、其国の独立国旗の光栄を以て共同目的とするの一大主義に至ては、総て皆帰一の点に注射湊合せずんばあらず。国の国たるは唯此一大元質あるに依るのみ」



史料
現代語訳や解説については下記を参考にしてください
『詳説日本史史料集』(山川出版社)
『精選日本史史料集』(第一学習社)
『日本史重要史料集』(浜島書店)
『詳解日本史史料集』(東京書籍)