(s0996)
「三国干渉」 |
『蹇々録』 |
「然れども広島の御前会議は(当時広島に滞在する者伊藤総理の外山県西郷陸海二大臣のみ)固より余が再度の電報を待つ迄に猶予すべきに非ざれば、其商議を進行し、而して当日伊藤総理提議の要領は、{第一}仮令新に敵国増加の不幸に遭遇するも此際断然露・独・仏の勧告を拒絶する乎、{第二}茲に列国会議を招請し遼東半島の問題を該会議に於て処理する乎、{第三}此際寧ろ三国の勧告は全然之を聴容し清国に向ひ遼東半島を恩恵的に還付する乎、の三策の中其一を選むべしと云ふに在り。出席文武各臣は孰れも反履丁寧に討論を尽したる末、伊藤総理の第一策に就ては、当時我征清軍は全国の精鋭を悉して遼東半島に駐屯し、我強力の艦隊は悉く澎湖島に派出し内国海陸軍備は殆ど空虚なるのみならず、昨年来長日月の間戦闘を継続したる我艦隊は固より人員軍需共に既に疲労欠乏を告げたり、今日に於て三国聯合の海軍に論なく、露国艦隊のみと抗戦するも又甚だ覚束なき次第なり、故に今は第三国とは到底和親を破るべからず、新に敵国を加ふるは断じて得策に非ずと決定し、次に其第三策は意気寛大なるを示すに足る如きも、余りに言ひ甲斐なき嫌ありとし、遂に其第二
策即ち列国会議を招請して本問題を処理すべしと廟議粗々協定し、伊藤総理は即夜広島を発し、翌二十五日暁天余を舞子に訪ひ御前会議の結論を示し、尚ほ余の意見あらば之を聴かむと云へり。(中略) 然れども伊藤総理が御前会議の結論として齎らし来れる列国会議の説は、余の同意を表するに難しとしたる所たり。其理由は今茲に列国会議を招請せむとせば、対局者たる露・独・仏三国の外少とも尚ほ二三大国を加へざるべからず。而して此五六大国が所謂列国会議に参列するを承諾するや否や、良しや孰れも之を承諾したりとするも、実地に其会議を開く迄には許多の日月を要すべく、而して日清講和条約批准交換の期日は既に目前に迫り、久しく和戦未定の間に彷徨するは徒に事局の困難を増長すべく、又凡そ此種の問題にして一度列国会議に付するに於ては、列国各々自己の適切なる利害を主張すべきは必至の勢にして、会議の問題果して遼東半島の一事に限り得べきや、或は其議論枝葉より枝葉を傍生し各国互に種々の注文を持ち出し、遂に下ノ関条約の全体を破滅するに至るの恐なき能はず。是れ我より好むで更に欧州大国の新干渉を導くに同じき非計なるべし、と云ひたるに、伊藤総理、松方、野村両大臣も亦余の説を然りと首肯したり。然らば如何に此緊急問題を処理すべきかと云ふに至り、広島御前会議に於て既に方今の形勢新に敵国を増加すること得計に非ずと決定したる上は、露・独・仏 三国にして其干渉を極度迄進行し来るべきものとせば、兎に角我は彼等の勧告の全部を承諾せざるを得ざるは自然の結果なるべし。而して我国今日の位置は目前此露・独・仏三国干渉の難問題を控へ居る外、尚ほ清国とは和戦未定の問題を貽し居る場合なれば、若し今後露・独・仏三国との交渉を久しくするときは、清国或は其機に乗じて講和条約の批准を放棄し、遂に下ノ関条約を故紙空文に帰せしむるやも許られず、故に我は両個の問題を確然分割して彼此相牽連する所なからしむべき様努力せざるべからず、之を約言すれば三国に対しては遂に全然譲歩せざるを得ざるに至るも、清国に対しては一歩も譲らざるべしと決心し、一直線に其方針を追ふて進行すること目下の急務なるべしとの結論に帰着し、野村内務大臣は即夜舞子を発し広島に赴き右決議の趣を聖徳に達し尋で裁可を経たり」 |
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現代語訳や解説については下記を参考にしてください |
『詳説日本史史料集』(山川出版社) |
『精選日本史史料集』(第一学習社) |
『日本史重要史料集』(浜島書店) |
『詳解日本史史料集』(東京書籍) |