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「江藤新平の決戦の議ー佐賀の乱」

『江藤南白』
「夫れ国権行はるれば、則ち、民権随て全し。之を以て交戦講和の事を定め、通商航海の約を立つ、一日も権利を失へば、国、其の国に非ず。今茲に人あり。之を唾して而して憤らず、之を撻て而して怒らずんば、爾後、婦人小児とと雖も、之を軽侮するや必せり。是れ、人にして其権利を失ふものなり。嚮に朝鮮、我国書を擯け、我国使を辱むる、其の暴慢無礼、実に言ふに忍びず。上は聖上を初め、下は億兆に至るまで、無前の大恥を受く。因て客歳十月、廟議尽く征韓に決す。天下之を聞て、奮起せざるものなし。已にして而して二三の大臣、偸安の説を主張し、聖明を壅閉し奉り、遂に其議を沮息せり。鳴呼国権を失ふこと、実に此極に至る。是れ所謂、之を唾撻して、而して憤怒せざるものと相等し。苟くも国として斯の如く失体を極めば、是れよりして、海外各国の軽侮を招く、其の底止する所を知らず。必ず、交際、裁判、通商、凡そ百事、皆な彼が限制する所と為り、数年ならずして、全国の生霊、卑屈狡獪、遂に貧困流離の極に至る、鏡に掛けて見るが如し。是れ有志の士の以て切歯扼腕する所なり。是れを以て同志に謀り、上は聖上の為め、下は億兆の為め、敢て万死を 顧みず、誓て此の大辱を雪がんと欲す。是れ蓋し人民の義務にして、国家の大義、而して人々自ら以て奮起する所なり。然るに、大臣其の己れに便ならざるを以て、我に兵を加ふ。其の勢状、此に至る。依て止を得ず、先年長州大義を挙ぐるの例に依り、其の処置を為すなり。古人日く、精神一到何事か成らざらん。我輩の一念、遂に此の雲霧を披き、以て錦旗を奉じ、朝鮮の無礼を問んとす。是れ誠に区々の微衷、死を以て国に報ゆる所以なり」



史料
現代語訳や解説については下記を参考にしてください
『詳説日本史史料集』(山川出版社)
『精選日本史史料集』(第一学習社)
『日本史重要史料集』(浜島書店)
『詳解日本史史料集』(東京書籍)