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「日本の知識人の欧米文化摂取の姿勢」

『ベルツの日記』
「 あなた方は、大体次のようにお考えになって然るべきでしょうーすなわち日本国民は、十年にもならぬ前まで封建制度や教会、僧院、同業組合などの組織をもつわれわれ中世の騎士時代の文化状態にあったのが、昨日から今日へと一足飛びに、われわれヨーロッパの文化発展に要した五百年たっぷりの期間を飛び越えて、十九世紀の全成果を即座に、しかも一時にわが物にしようとしているのであると。従ってこれは真実、途方もなく大きい文化『革命(レヴォルチオン)』ですー何しろ根底からの変革である以上、『発展(エヴォルチオン)』とは申せませんから。そしてわたしは、この極めて興味ある実験の立会人たる幸運に恵まれたしだいです。
 このような大跳躍の場合ーこれはむしろ『死の跳躍(サルト・モルターレ)』というべきで、その際、日本国民が頚を折らなければ何よりなのですがー多くの事物は文字どおり『さかしま』にされ、西洋の思想はなおさらのこと、その生活洋式を誤解して受入れる際に、とんどもない脱線が起こるものであることは、当然すぎるほど当然の事柄で、そんなことを辟易してはならないのです。(中略)
 一体、この国と国民と誠意をよせ、本当に好意をいだいているものは、事実をよく吟味して判断せねばならないのです。健全な批判力の助けをかりないでは、ことにこの場合のように二重に困難な事情のもとで、およそ新しいことがどうして成り立ち得るでしょうか。日本人に対して単に助力するだけでなく、助言もすることこそ、われわれ西洋人教師の本務であると思います。だがそれには、ヨーロッパ文化のあらゆる成果をそのままこの国へ持って来て植えつけるのではなく、まず日本文化の所産に属するすべての貴重なものを検討し、これを、あまりにも早急に変化した現在と将来の要求に、ことさらゆっくりと、しかも慎重に適応させることが必要です。
 ところがー何と不思議なことにはー現代の日本人は、自分自身の過去については、もう何も知りたくはないのです。それどころか、教養ある人たちはそれを恥じてさえいます。『いや、何もかもすっかり野蛮なものでした(言葉そのまま!)』とわたしに言明したものがあるかと思うと、またあるものは、わたしが日本の歴史について質問したとき、きっぱり『われわれには歴史はありまさん、われわれの歴史は今からやっと始まるのです』と断言しました。なかには、そんな質問に戸惑いの苦笑をうかべていましたが、わたしが本心から興味をもっていることに気がついて、ようやく態度を改めるもののありました。
 こんな現象はもちろん今日では、昨日の事柄一さいに対する最も急激な反動からくるのであることはわかりますが、しかし、日々の交際でひどく人の気持を不快にする現象です。それに、その国土の人たちが固有の文化をかように軽視すれば、かえって外人のあいだで信望を博することにもなりません。これら新日本の人々にとっては常に、自己の古い文化の真に合理的なものよりも、どんなに不合理でも新しい制度をほめてもらう方が、はるかに大きい関心事なのです」



史料
現代語訳や解説については下記を参考にしてください
『詳説日本史史料集』(山川出版社)
『精選日本史史料集』(第一学習社)
『日本史重要史料集』(浜島書店)
『詳解日本史史料集』(東京書籍)