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「内村鑑三の不敬事件」

『福音週報』
「吾人は新教徒として、万王の王なる基督の肖像にすら礼拝することを好まず。何故に人類の影像を拝すべきの道理ありや。吾人は上帝の啓示せる聖書に対して、低頭礼拝することを不可とす、また之を屑とせず。何故に今上陛下の勅語にのみ礼拝をなすべきや。人間の儀礼には、道理の判然せざるもの尠からずと雖も、吾人は今日の小学中学等に於て行はるる影像の敬礼、勅語の拝礼を以て殆ど児戯に類することなりといはずんばあらず。憲法にも見えず、法律にも見えず、教育令にも見えず、唯当局者の痴愚なる頭脳の妄想より起りて、陛下を敬するの意を誤まり、教育の精神を害し其の間に多少の紛議を生ずべき習慣を造り出し、明治の昭代に不動明王の神符、水天宮の影像を珍重すると同一なる悪弊を養成せんとす。吾人は敢て宗教の点より之を非難せず、皇上に忠良なる日本国民として、文明的の教育を賛成する一人として、人類の尊貴を維持せんと欲する一丈夫として、かかる弊害を駁撃せざるを得ず。之を駁するのみならず、中学校より、また小学校より、是等の習俗を一掃するは国民の義務なりと信ずるなり。(中略)
 勅語の拝読を慎むは権威を重ずるの趣意に出しことならん。学校の秩序を保ち、慎重順の風を養成するの結構ならん。其の策の得失は吾人之を論ぜず。然れどもこの一事に重みを置き、之が為に一人の教諭を免ずるに至る程に熱心なる学校は、何故に秩序を紊るの行を容赦するや、何故に生徒を恐れ、生徒の意を迎ふるに汲々たるや。吾人は当局者のために頗る之を惜まざるを得ず。其の自家撞着の甚だしきに驚かざるを得ざりなり」



史料
現代語訳や解説については下記を参考にしてください
『詳説日本史史料集』(山川出版社)
『精選日本史史料集』(第一学習社)
『日本史重要史料集』(浜島書店)
『詳解日本史史料集』(東京書籍)