(s1082)

「田口卯吉の歴史観」

『日本開化小史』
「然れども徳川氏既に人望を失せり、あに久しく海内を制するを得んや。公武共に開港の主義を取るに及びて、鎖港攘夷を主義とせる民間の志士私に兵を執りて政府に煩はすものあり、海内多事、徳川氏殆んど之を制馭する能はず、而して外国又頻りに償金を促し徳川政府の過失を咎めたり…されば土佐侯山内氏其臣をして十五代将軍慶喜に説かしめて日く…宜しく政権を王室に奉還し、万国の併立するの基礎を立つべしと。将軍其説を容れて政権を奉還せり。…然れども徳川氏はなお海内の強国たるを失はざりき。…されば若し更に関左の兵を起して東海東山の二道を上らしめば、天下の事未だ知るべからざるなり。然れども此時外患方に深く、干戈を邦内に動すべき時にあらず。故に将軍慶喜は勝安房、大久保一翁の説を容れ、自書臣下を戒めて日く、官軍に抗するなかれ、官軍に抗するものはなお刃を吾に加ふるが如きなりと。即ち江戸城及び軍艦、銃砲を朝廷に献じ而して身其命を俟てり。さればさしも堅牢なりし徳川政府の組織も、民間の輿論に抗したるが為に開港後わずか九年にして終に解体したりけり」



史料
現代語訳や解説については下記を参考にしてください
『詳説日本史史料集』(山川出版社)
『精選日本史史料集』(第一学習社)
『日本史重要史料集』(浜島書店)
『詳解日本史史料集』(東京書籍)