(s1097)

「田中正造の鉱毒被害民の請願の理由書」

『衆議院議事速記録』
「謹で請願す、足尾銅山鉱毒被害民の請願は已に幾回となく其惨状を縷陳し尽したりと雖も未だ我等被害民の生命を救ふに至らざる為め茲に再び請願の挙に出づるの止むを得ざるに至れり、夫れ渡良瀬川沿岸の地勢平坦にして一般沃土なりしは大古より多種の天産に富みたるが為めにして生業の多き亦偶然に非らざるなり、而して水質の佳良なるに因り中古に至りて自然絹糸織物の産地起り、水利宜しく船舶運輸の便開け、又多くの幹支流域には大小の池沼無数の溝渠ありて多くの魚鳥産殖し、藻草竹木も亦繁茂し、沿岸は皆潅漑自在なり、加ふるに水源諸山の敗土及び落葉は流水之を原野田園に齎し、近年に至るまで天与の肥料として実に莫大なり、是を以渡良瀬川水利の恩沢に欲する地方は古来幾多の産業無限の幸福を得たり、然るに今や足尾銅山銅毒鉱毒の為に往古より享有したる無比無量の天産は挙げて之を亡滅せしめられたり、其れ天産の資力によりて居住する人民が特有の天産を害せられて生活の資力を失はざるものなし、生活の資力を失って誰が其土に安んずることを得んや、啻に天産を害して生活の途を失はしめられたるのみならず、加害の鉱毒は衣食住を犯して身体に感染 し貧苦窮困衰弱併せ至るに至りては則ち死に至らざるもの殆ど是れ無きに至る、而して被害民の田宅は二十余年の久しき其毒中に没せらるるもの多し、人生の不幸災害一とし免るるを得ず、是を以て前の天産資力の豊饒なる当時に比せば、今や悲惨の極にして殆ど喩ふるに物なく実に人類の生活し能はざる迄に変化せり、而して其鉱毒侵害は漸次一府五県に亘り、其区域には邦内の一国に匹敵する程の土地と三十余万の人民とを有するにあらずや、政府は前途無慮幾億万を以て算すべき邦土大部分の家屋人蓄とを挙げて之を永遠に亡滅せしめんとするか、若し其れ然らずとせば政府は何故に久しく之を傍観し、地方官に訓じて以て公文に鉱毒の文字を書戴することを禁じたるか、(中略)天皇陛下の臣民たる我等被害民を軽侮して、加害者一人を憲法治外に横暴を許し上野下野武蔵総常陸の五州を横断し、傍若無人殆ど六万町歩の有租地と三十万人民の亡滅を顧みず、関東八州の中央に蟠り一大砂漠を作り是を末世に伝へんとするが如き我が日本憲法の全部を破壊して而も尚神聖を憚らず、之を警戒せず、其の失態を改むるなく尚且之を公益に害なしとして加害者を曲庇し、干今足尾銅山の鉱業を停止する能はず、 毒流の根源を絶つ能はず、水源諸山の伐木を禁ずる能はず、(中略)死地にある我等窮民の急なる請願に対し急ぎ之を処置する能はず、早く水を清むる能はず、天産復活の基を開く能はず、憲法を守る能はず、非命に殪れたるものの処置を為すこと能はず、権利を全ふせしむる能はず、生命を救ふ能はずんば、寧ろ我等被害民を殺せよ」



史料
現代語訳や解説については下記を参考にしてください
『詳説日本史史料集』(山川出版社)
『精選日本史史料集』(第一学習社)
『日本史重要史料集』(浜島書店)
『詳解日本史史料集』(東京書籍)