(s1109)

「西園寺内閣の退陣」

『原敬日記』
「大正元年十二月二日付
午前急に閣議の申越あり、十一時首相官舎に赴き閣議に列す。西園寺の云ふ所によれば、上原陸相は今朝直接陛下に辞表を捧呈せり、且つ其辞表は理由を具せり、昨日は病気の故として理由を具せざること並に其辞表は秘書官に認めさせくれよと云ふに付、西園寺は辞表を右様軽率に扱ふことも如何と思ふに付帰省の上にて認めよと云ひ、上原は然らば自ら認めて首相手許まで送り越すべしとの事なりしが、総て昨日の約に違へり、上原が大山、山県等の間に奔走せりと聞けば或は夫等の為めに変化したる次第にもあらんと云ふ。
 桂侍従長首相官舎に来り西園寺に面会し、聖上よりの御使なりとて上原辞表を出したるに付御尋ねの次第を告げたる後、桂個人として西園寺に上原の申分を容れて如何と云ふに付、西園寺は到底之に応ずること能はずと云ひ、又上原の後任に付物語りたるに、桂は後任を求むるなどの事はなさざる様ありたしと云ひ、又内閣総辞職の事を西園寺より内話し、後任には寺内は不可なり君がやるべしと桂に云ひたるに、桂も寺内は不可なりと同意せしも桂自身のことに付ては強て之を否まず多分引受くるの意思ならんと西園寺云へり。西園寺より此報告を聞きたる後閣僚一同協議の末、明日首相参内して事情を奏上して上原の辞職は之を聴許ある様に奏上し、同時に上原の後任を求め、若し後任を得る能はざれば内閣総辞職をなすべき旨をも併せて奏上すべし、而して此奏上の後に山県を訪問して其顛末を告げ且後任に付相談をなし、山県が其後任して談に対する答弁如何によりては後任を求めずして直に内閣の総辞職をなすも可なりと内決したり。又内閣辞職する場合に其辞職の理由即ち一面に於ては上原辞職理由の反駁書とも見るべきものを起草し置くべきことを南内内閣書記官長に命ぜり。
 閣議散会後西園寺より桂と談話の要点を聞取り、桂は余の推測通自ら内閣に立つの意思あることを慥かめたり」



史料
現代語訳や解説については下記を参考にしてください
『詳説日本史史料集』(山川出版社)
『精選日本史史料集』(第一学習社)
『日本史重要史料集』(浜島書店)
『詳解日本史史料集』(東京書籍)