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「幸徳の義和団事変にたいする考え」

『万朝報』
「明治三十三年六月二十二日社説
吾人は今回の清国事変に就て、直ちに咸豊十年の英仏連合軍攻撃の事を想起せざる能はず。当時英仏両公使の天津条約批准交換の為めに北京に進むや、清国之を拒絶して白河砲台から両公使を砲撃し、両国の兵を以て迫るに及んで、欺って和を天津に乞ひ、再び詐って和を通州に乞ひ、以て敵軍を陥いれんとす。而して休戦の間恣まに、書記官パークス及び実に四十八時間の長き逆まに吊下せられ、番兵の睡眠或は賭博の隙を覗ふて、体操術にて依て身を起し、縄に縋りて辛く死を免れしと云ふが如き、清国の譎詐と暴横は実に古来無比と称せられたり。而も今回、戦ひ未だ開ざるに我公使館書紀生を屠殺し、更に列国聯合の入兵を逆襲せるを見れば、其乱暴狼籍無法大胆なるは遥に咸豊の当時に過るあるを覚ゆ。況や昨日の飛電は、各国公使の遭害を伝ふ。事若し真ならば、其罪悪は実に天地に貫盈する者にあらずや。
 此乱暴なる清国は遂に人道を解するの見込なき乎、此頑冥なる清国は遂に覚醒の時なき乎は、極めて重大なる問題に属すと雖も、而も今日の問題に非ず。勢ひ此に至る、今日の最も急なるは速かに此毒悪の手を制縛するに在り、此狼籍の動作を強圧するに在り。換言すれば列国自身の武力を以て、清国の平和を恢復するに在り。吾人は関係に於て協同一致敢て或は杆格支吾するなく、其運動の一毫遺算なきことを望むや切なり。蓋し列国協同の運動が、裡面に幾多の暗戦点闘あるに由りて、十分の効果を奏する能はざるは古来然り。土耳其問題に於ける協同崩壊の失態は、吾人既に之を言へり。彼咸豊の征戦に於ても、亦た英仏両軍の甚だ相和せざるが為めに、屡ば機を逸し期を合せざりしが如き、次で仏軍先づ円明園に入りて珍器重宝を掠奪せるが為に、英軍怒て此華麗宏壮の宮殿を焚焼せるが如き、千古識者の醜辱となす所、吾人は深く列国の之に鑒みんことを望む。
 列国協同平和恢復の急なるは実に此の如し。然れども吾人は元より之に関して守株膠柱の見を為すものに非ず。平和恢復の後に来るものは即ち、清国処分の問題也。清国処分の問題起るの時は即ち、列国争衡問題の表面実地に現出するの時也。此時に於てや元より当局外交の手腕如何に存すと雖も、其背後の実力と、今日平和恢復の際に占取せる地歩の如何が、非常の関係を有せずんばあらず。故に将来完全なる国権利益を扶持せんと欲せば、列国と協同一致の運動を為すに際して、兼て自国の地歩を確保するに於て、決して一歩を後るるを許さず。是れ当局の極めて戒心せざる可らざる所也」



史料
現代語訳や解説については下記を参考にしてください
『詳説日本史史料集』(山川出版社)
『精選日本史史料集』(第一学習社)
『日本史重要史料集』(浜島書店)
『詳解日本史史料集』(東京書籍)