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「日比谷焼打ち事件」

『東京朝日新聞』
「明治三十八年九月六日付
  開会の光景
中央広場に集まりたる雲霞の民衆中、労働組合の大団体は最も悲壮なる態度を以て、講和屈辱を絶叫し居たる中、福田和五郎氏は中央の台に上りて、那の決議案を朗読せり。此間音楽隊は悲壮の曲を吹奏し、又委員は用意の紙製旭旗、但し喪章に擬せし黒紙を附したるもの五千本を、夫れ夫れ頒布し、更に会長河野氏外二三委員有志家の演説ありて、一時三十五分万歳を三唱し、夫れより新富座に向ふ途次、誰が云ひ出せしか、一行は日吉町なる国民新聞社をさして向へり。
  国民新聞社の惨状(民友社員抜劍、負傷者数名)
 国民新聞社は、此日大攻撃の焼点となり、日比谷を引揚げたる国民大会会衆は、午後三時直ちに日吉町なる民友社を襲ひたり。其勢凡そ千余人、鬨を作りて、先づ社前のガラス戸を打ち壊し、手に手に石を拾ひては投付けたるに、階上階下のガラスは一枚残らず砕け落ちしば、何れも万歳を唱へて突進せしを、巡査及び憲兵竝に民友社員は、一生懸命に防禦に当りしにぞ、会衆はいよいよ激昂し、命掛けにて揉み潰せと罵りさわぎ、長梯子、どぶ板、丸太を得物として制止する者を片ッぱしより投ぐり付け、遂に器械場へ乱入して活字其他を転覆したり。(中略)一度此時新富座の警戒を引揚げたる巡査及び臨時召集の騎馬巡査約三四十名応援に来りしかば、梢会衆の勢を殺ぐに至りしかど、午後四時過に達するまで、猶非国民新聞よ、露探新聞よと罵りつつ、民友社攻撃の火の手を止めざりき。要するに民友社の外廓は、此の攻撃に依て略破壊に帰したるものの如し。(中略)
  内務大臣官舎の破壊
 国民新聞社前の大活劇少しく終らんとすると共に、午後三時半頃何処より集まりしか、麹町区内山下町なる内務大臣官舎前に、一団の群集現はれ、誰云ふとなく『遣れ遣れ』の声と共に、忽ち瓦礫を官舎に投じ、此処にも一場の大騒動を惹起せんとせしより、警官四方より馳来りて制止せしが、何条肯んずべき、瓦礫は益々飛んで雨の如く、終に大臣官舎の左右門衛所の硝子窓、及び左側の鉄の門扉を見る見る破壊し了り、進んで門内へ闖入せんとす」



史料
現代語訳や解説については下記を参考にしてください
『詳説日本史史料集』(山川出版社)
『精選日本史史料集』(第一学習社)
『日本史重要史料集』(浜島書店)
『詳解日本史史料集』(東京書籍)