(s1145)

「憲政の本義を説いて其有終の美を済すの途を論ず」

『中央公論』
「大正五年一月号
民本主義といふ文字は、日本語としては極めて新しい用例である。従来は民主主義といふ語を以て普通に唱へられて居ったようだ。時としては又民衆主義とか平民主義とか呼ばれたこともある。然し民主主義といへば、社会民主党などといふ場合に於けるが如く、『国家の主権は人民にあり』といふ学説と混同だれ易い。又平民主義といへば、平民と貴族とを対立せしめ、貴族を敵にして平民に味方するの意味に誤解せらるるの恐れがる。独り民衆主義の文字丈けは、以上の如き欠点はないけれども、民衆を『重んずる』といふ意味があらわれない嫌がある。我々が視て以て憲政の根柢と為すところのものは、政治上一般民衆を重んじ、其間に貴賎上下の別を立てず、而かも国体の君主制たるとを問はず、普く通用する所の主義たるが故に、民本主義といふ比較的新しい用語が一番適当であるかと思ふ。(中略)
 しかるに洋語のデモクラシー言葉は、今日実はいりいろの異なった意味に用ひらるる。予輩のいはゆる民本主義は、もちろんこの言葉の訳語であるけれども、この原語はいつでも民本主義といふ言義の外に更に他の意味にも用ひらるることがある。予輩の考ふるところによれば、この言葉は今日の政治法律等の学問上においては、少なくとも二つの異なった意味に用ひられて居るように思ふ。一つは『国家の主権は法理上人民に在り』といふ意味に、またモ一つは『国家の主権の活動の基本的の目標は政治上人民に在るべし』といふ意味に用ひらるる。この第二の意味に用ひらるる時に、我々はこれを民本主義と訳するのである。第一の意義は全然別個の観念なるが故に、また全然別個の訳語を当て嵌めるのが適当だ。しかして従来通用の民主主義といふ訳語は、この第一の意味を表はすに恰もてきとうであると考へる。(中略)
 いはゆる民本主義とは、法律の理論上主権の何人に在りやといふことは措いてこれを問はず、ただその主権を行用するに当たって、主権者は須らく一般民衆の利福並びに意嚮を重んずるを方針とす可しといふ主義である。即ち国権の運用に関してその指導的標準となるべき政治主義であって、主権の君主に在りや人民に在りやはこれを問つところでない。もちろんこの主義が、ヨリ能く且つヨリ適切に民主国に行はれ得るは言ふを俟たない。しかしながら君主国に在ってもこの主義が、君主制と毫末の矛盾せいずに行はれ得ることまた疑ひない。何となれば、主権が法律上君主御一人の掌握に帰して居るといふことと、君主がその主権を行用するに当たって専ら人民の利福及び意嚮を重んずるといふこととは完全に両立し得るからである。しかるに世間には、民本主義と君主制とをいかにも両立せざるものなるかの如く考へて居る人が少くない。これは大なる誤解といはなければならぬ。(中略)
 予は前段において、民本主義を定義して『一般民衆の利益幸福並びにその意嚮に重きを置くといふ政権運用上の方針である』と言ふた。この定義は自ら二つの内容を我我に示す。一つは政権運用の目的即ち『政治の目的』が一般民衆の利福に在るといふことで、他は政権運用の方針の決定即ち『政治の決定』が一般民衆の意嚮に拠るといふことである。換言すれば、一は政治は一般民衆のために行はれねばならぬといふことで、二は政治は一般民衆の意嚮によって行はれねばならぬとぴふことである。これ実に民本主義の要求する二大綱領である」



史料
現代語訳や解説については下記を参考にしてください
『詳説日本史史料集』(山川出版社)
『精選日本史史料集』(第一学習社)
『日本史重要史料集』(浜島書店)
『詳解日本史史料集』(東京書籍)