(s1168)

「満州事変と政府の対応」

『西園寺と政局』
「その晩夕食頃に、総理から電話がかかって、『すぐ来てもらひたい』といふことであったので、食後直ちに総理官邸に行ったところ、総理は非常に弱りきってゐる様子で、まづ第一に、『外務省の報告も陸軍省の報告も、自分の手許に来ない』といふことをしきりに言ひ、『しかし川崎書記官長を以ていま注意させておいた』とも言ってゐた。それから、
 『自分はできるだけのの事件を拡大しないやうに、なんとかしてとめたいと思っていろいろ心 配してゐるが、軍事当局が保障占領をしたらしい。元来この保障占領なるものは、政府の決定 に待つべきものであって、軍事当局の権能を以て濫りにできる性質のものではない。また満蒙 における支那の現兵力は二十万以上もあるのに、日本軍は一万余りであるから、”現在の兵力 であまりに傍若無人に振舞って、もし万一のことが起ったらどうするか”といふことを陸軍大 臣にきくと、”朝鮮から兵をだす”或は”既に出したらしい”との答なので、”政府の命令な しに、朝鮮から兵を出すとはけしからんじゃないか”となじったところが、”田中内閣の時に、 御裁可なしに出兵した事実がある”とのことで、これは後に問題を残さないと思ったらしい。 事実は、既に鴨緑江近くまで兵を出し、そこでとめてあるが、一部既に渡ってしまったものは 已むを得ない、といふやうな陸軍大臣の答であった。かういふ情勢であってみると、自分の力 では軍部を抑へることはできあに。苟も陛下の軍隊が御裁可なしに出動するといふのは言語道 断な話であるが、この場合一体どうすればいいのか。こ んなことを、貴下に話す筋でないかも しれんけれども、なんとかならないか。貴下から元老に話してくれと、どうしてくれとかいふ のではないけれども、実に困ったものだ』と芯から弱ったやうな様子であった」



史料
現代語訳や解説については下記を参考にしてください
『詳説日本史史料集』(山川出版社)
『精選日本史史料集』(第一学習社)
『日本史重要史料集』(浜島書店)
『詳解日本史史料集』(東京書籍)