(s1193)

「大正大震火災誌」

『現代史資料』
「一、概記
 震火災に依りて、多大の不安に襲はれたる民衆は、殆ど同時に、又流言蜚語に依りて戦慄すべき恐怖を感じたり、大震の再来、海嘯の来襲、鮮人の暴動など言へるもの即ちそれなり。大震海嘯の流言は、深き印象を民衆に与ふる程の力を有せざりしと雖も、鮮人暴動の蜚語に至りては、忽ち四方に伝播して流布の範囲亦頗る広く、且民衆の大多数は概ね有り得べき事なりしとて之を信用せしかば纔かに震火災より免れたる、生命、財産の安全を確保せんが為めに、期せずして、各々自警団を組織し、不逞者を撃滅すべしとの標語の下に、鮮人に対して猛烈なる迫害を加へ、勢の激する所、終に同胞を殺傷し、軍隊警察に反攻するの惨劇を生じ、帝都の秩序将に紊乱せんとす。而して、之が為に、罹災地の警戒及び非難者の救護上に非常なる障碍を生じたるのみならず、延て朝鮮統治上に及ぼしたる影響も亦甚だ多く、誠に聖代の一大恨事たり。
 二、流言ほ発生
 流言蜚語の、初めて管内に流布せられしは、九月一日午後一時頃なりしものの如く、更に二日より三日に亘りては、最も甚しく、其種類の亦多種多様なり。
 今本庁及び各署にて偵察聞知せる、流言蜚語の大要を、日時を遂ふて列挙すれば左の如し。
  (A)九月一日午後一時頃
「富士山の大爆発ありて今尚大噴火中なり」
「東京湾沿岸に猛烈なる大海嘯襲来して人畜の死傷多かるべし」
「更に大地震の来襲あるべし」
     同日午後三時頃
「社会主義者及び鮮人の放火多し」
  (B)二日午前十時頃
「不逞鮮人の来襲あるべし」
「昨日の火災は、多く不逞鮮人の放火又は爆弾の投擲に依るものなり」
「鮮人中の暴徒某神社に潜伏せり」
「従来官憲の圧迫に不満を抱ける大本教は、其教書中に於て今回の大火災を予言せしが、今や損実現せられしを機として、密謀を企て、教徒数千名上京の途にあり」
     同日午後二時頃
「市ヶ谷刑務所の解放囚人は、山の手及び郡部に潜在し、夜に入るを待ちて放火するの企あり」
「鮮人約二百名、神奈川県寺尾山方面の部落に於て、殺傷、掠奪、放火等を恣にし、漸次東京方面に襲来しつつあり」
「鮮人約三千名、既に多摩川を渉りて洗足村及び中延付近に来襲し、今や住民と闘争中なり」
 (中略)
右に挙ぐる所は、流言中に於て最も人心を刺戟し、伝播力の激甚なりしものなり、今之を観察するに、震災当日にありては、極めて単純なる内容を有し、大地震の再来大海嘯の襲来など言へる、恐怖心に基けるものに過ぎざりしに、翌日に至りて鮮人暴動の流言蜚語之に代ると共に、時の経過に従ひて、次第に拡大せられたるを知るべし、斯くて一般民衆の耳目は之が為に聳動し、人心頓に不安を感じたるの結果、遂に鮮人に対する憎悪の念は極度となり、之と対抗せんが為に、武器を執りて自ら衛り、甚だしきは不逞鮮人中、警察官の服装を為すものありとの流言に迷ひ、征服の軍人、警察官等を道に要して逮捕尋問するの暴行を敢てするに至る。以て鮮人暴動の蜚語が如何に民衆を刺戟し人心を険悪ならしめたるかの情勢を卜するに足らん」



史料
現代語訳や解説については下記を参考にしてください
『詳説日本史史料集』(山川出版社)
『精選日本史史料集』(第一学習社)
『日本史重要史料集』(浜島書店)
『詳解日本史史料集』(東京書籍)