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「満州某重大事件と田中内閣の退陣」

『小川平吉関係文書』
「昭和四年六月廿九日朝、電話にて首相に報告し、西公を訪はんとす。首相日く、可なり、予は西公の違勅問題の如き感をなす云々と。八時半西園寺公を訪ふて開口一番述べて日く、総理大臣辞職の決意は昨日公に言明せられたる如くにして、今更是非するの要なし、只予の今日公を訪へるは、天皇陛下の君徳に関する事の為なり、今日の事たる総理としては辞職の外なからんも、陛下として国政御委任の宰相より説明を拒否せらるるが如きは、果して君徳の全うしたるものと云ふべき乎、今日は事理を明にするが為めに恐れ多けれども言語を露骨にせんに、陛下の御言動は恰も幕末大名などが、家来に対して御勘気の場合の如く感ぜられて、如何にも残念の事なり、今日の時代に於て総理大臣が御勘気を蒙りて、閉門蟄居せりなどといふべき事のある可き理なし、申す迄もなく、又御我侭もあるべき筈なきなり、予は昨日首相に対して輔弼の重責を竭す為めに飽まで問題の御説明を申上ぐべきやう切言したれども、首相も説明の希望を述べたるに、首相に対し、再度まで説明を聴かずと仰せありてはもはや首相としては是非もなき事なり、但だ陛下の君徳に付きては、事や我が日本帝国の興 廃にも関する事なれば、将来飽まで輔匡の道を講ぜざる可らず、公爵には常々此点に関して焦心努力せらるることなるが、今回の事に付ては特に前朝以来の元勲として御注意を喚起し、更に一段の御努力を請はざるを得ざるなり。
 今回の事も種々なる陰謀の宮中に行はれたるならんと察するも、之は今暫く之を言はず、将来もし奸黠の徒ありて宮中に手を廻はして至尊を動かすが如きことあらば、日本の将来は如何に成り行くべきや、真に寒心に堪へざるなり、各政党は選挙に費消する金銭の一部を割きて、宮中の運動に転費するが如きあらば油々しき一大事に非ずや、而して今日の如き厳戒するに非ずんば前記の不祥事は必ずしも杞人の憂に止まらざるべしと襟を正して痛論せしに、公は端然とし黙聴し畢りて容を改めて日く、君徳の事に付て、足下以下に心配し居ることは御承知通りなり、陛下には御聡明に亘らせらるる丈けに特に心配に堪へざる所なり、今回も努力出来る丈けは努力せり、微力遂に意の如くならず、此頃も一夜焦慮して睡眠せざりし程なりと前提し、語を転じて日く、『あの時に思ひ切って遣って仕舞へばよかったに』と。予は、然り、やるとか、やらぬとか、はっきりせしならばよかりちにと。公は更に進んで例の如く、互に秘密を約して種々談話を交換せり」



史料
現代語訳や解説については下記を参考にしてください
『詳説日本史史料集』(山川出版社)
『精選日本史史料集』(第一学習社)
『日本史重要史料集』(浜島書店)
『詳解日本史史料集』(東京書籍)