(s1198)

「陸軍の政党内閣反対の動き」

『木戸幸一日記』
「昭和七年五月十七日付
五月十七日(火)晴
 (中略)
 正午、原田男邸に至り、近衛公、井上侯、鈴木中佐と会食し、今回の事件の前後処置、後継内閣問題につき懇談す。
 鈴木中佐の談によれば、今回の事件は矢張り十一月事件と同一系統のものにして、数月前(三月頃?)霞ヶ浦方面にて十一月事件の一味たる大尉級の者が今回の当事者たる海軍将校連と密に会合し、海軍より断行を勧めたるに、陸軍は軍部を組織体たる一団となりて活動すべきものなればとて之を拒絶し、激論を交したる後、物別れとなりたる事実あり。陸軍としては、荒木陸相は先づ部内の統制に努め、進んで臨時議会終了後あたりに軍部と他との対立的関係を打破し、人の和を得るの途につき政府に向かって献策せむと目論見居りたる様子なりしが、遂に斯の如き事件を惹起するに至りしなり。扨て事件が発生して見ると、元来、其主義には陸軍の少壮連も賛成せるものなれば、之が結果に就ては徒労に終らしめざるべく努むるは当然にして、内閣が再び政党に帰するが如き結果とならんか、第二第三の事件を繰返すに至るべし。故に幾分にても従来の弊害を矯正し得る方法を考へざるべからず。挙国一致の内閣等も其一案なるべく、小磯次官は、平沼内閣説なるが如し。
 今回の事件を直接刺戟したるは政党擁護の声明なりと思ふ。右の声明に就ては少壮将校の間に非常に憤慨せるものありたり。
 午後六時、再び原田邸に於て原田、近衛と共に永田鉄山少将に面会し、時局に関する意見を聴く。同氏は自分は陸軍の中にては最も軟論を有するものなりと前提して話されるが、其の意見は大体鈴木中佐等と異ならず、要するに、現在の政党による政治は絶対に排斥するところにして、若し政党による単独内閣の組織せられむとするが如き場合には、陸軍大臣に就任するものは恐らく無かるべく、結局、組閣難に陥るべしと語り、政党員にして入閣するものは党籍を離脱することは困難なりやと質問せし位にて、相当政党を嫌へることは明なり」



史料
現代語訳や解説については下記を参考にしてください
『詳説日本史史料集』(山川出版社)
『精選日本史史料集』(第一学習社)
『日本史重要史料集』(浜島書店)
『詳解日本史史料集』(東京書籍)