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「天皇機関説問題」

『本庄日記』
「昭和十年三月二十九日 三月二十七日軍事参議官会議に於て機関説に関する論議あり。翌二十八日此概要を申上げ、尚ほ同時に往年、南北朝正統論決定当時の話をも付け加へし処、後刻御召あり。(中略)
陛下は更に、理論を究むれば結局、天皇主権説も天皇機関説も帰する所同一なるが如きも、労働時間其他債権問題の如き国際関係の事柄は、機関説を以て説くを便利するが如し云々と仰せらる。
 之に対し軍に於ては、天皇は現人神と信仰しあり、之を機関説により人間並に扱ふが如きは、軍隊教育及統帥上至難なりと奉答す。
 又二十句碑午後二時御召あり、天皇機関説に付陸軍は首相に迫り、其解決を督促するにあらずやとの御下問あり。
 陛下は、憲法第四条『天皇は国家の元首』云々は即ち機関説なり、之が改正をも要求するとせば憲法を改正せざるべからざることとなるべし、又伊藤の憲法義解には『天皇は国家に臨御し』云々の説明ありと仰せらる。
 此日閣議に於て、陸相は機関説是正を提議し内相、法相、文相等其主旨に共鳴せるも声明は差控ゆることとなれり。(中略)
四月十九日 此朝真崎教育総監の天皇機関説に関する訓示に付、同総監より聴取せる処を申上げしに、
 陛下は、天皇主権説が紙上の主権説にあらざれば可ならんか(半ば諧謔的に)と仰せられ、断じて左様の義にあらずと奉答す。(中略)
四月二十五日 四月二十四日午前十一時
 陛下は、在郷軍人の名に於て各方面へ配布せし機関説に関する『パンフレット』に付御下問あり。即ち此の如きは在郷軍人として遣り過ぎにあらざるかと拝す。即ち、軍部にては機関説を排撃しつつ、而も此の如き、自分の意思に悖る事を勝手に為すは即ち、朕を機関説扱と為すものにあらざるなき乎との仰せあり。
 之に対し断じて左様の事あるべき筈なし。只 天皇機関説問題、今日国内到る処喧しく、在郷軍人より中央部の軟弱を非難する位にて、或は其分を超へて問題を惹起する嫌なしとせず、故に軍に参考として小冊子を偕行社記事の付録として配布し統制外の逸脱せざらしめんとせるに外ならず。而して之と陸軍大臣が国務大臣として、軍部の総意を代表して閣議に意見を述べあるもとのは自ら同じからず。即ち陸軍大臣は建軍の立場より、天皇機関説に対する軍の信念を述ぶるのみにして、学説に触るることは之を避けある次第なりと申上ぐ。
 陛下は、若し思想信念を以て科学を抑圧し去らんとするときは、世界の進歩は遅るべし。進化論の如きも覆へさざるを得ざるが如きこととなるべし。去りとて思想信念は固より必要なり、結局思想と科学は平行して進めしむべきものと想ふと仰せらる」



史料
現代語訳や解説については下記を参考にしてください
『詳説日本史史料集』(山川出版社)
『精選日本史史料集』(第一学習社)
『日本史重要史料集』(浜島書店)
『詳解日本史史料集』(東京書籍)