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「自動車の功罪」

『木佐木日記』
「大正十三年四月二十七日付
震災以来、眼に見えて自動車が東京の街にはんらんするようになった。それもボロ自動車が多い。また市営の『円太郎』と軽べつの意味で呼ばれている乗合自動車が走っている。その間を縫って、暴走車と非難されている貨物自動車がつっ走っている。いずれも有名な東京の悪道路の上をである。われわれのように仕事の関係で外出の機会の多い者にとっては、市電の外に一番利用することの多いのは料金の安い円太郎ぐらいなもので、まだタクシーには乗ったことがない。(中略) 今日、諸家の説を読んで見て、いろいろその人の個性や物の見方がわかって面白かった。自動車を憎む、とはっきり言い切ったのは、小川未明氏一人だけだった。氏は全面的な自動車否定論者である。『無産者が自動車を見るときほど階級闘争の観念をひき起すことはない』と言っているように、もっぱら階級的反感からそう思っているのである。(中略)
 きらいだ、好かないという人に徳田秋声氏と長田秀雄氏がある。きらいだが便利で、乗り心地は悪くないというのが生方敏郎氏である。悪意を持つことがあるが、時代の大勢でいかんともしがたいと言う近松秋江氏はあきらめ派で、自動車の横行は、社会生活の自由主義の悪いところをまざまざと見せつけるものだと言い、『政府は思想善導など無形の教化問題で苦心するよりも、有形の問題の改善に努力するべきだ』と自動車自己の対策の急務を唱え、同時にちょっぴり政府の思想政策を皮肉り、平素政治に関心のあることを示している。
 自動車が好きだ、買って乗りまわしてみたい、といった人は久米正雄氏一人だけだ。もっとも久米氏の場合は、自動車を住居にして大正ジプシー生活を夢み、都市田園の水草を追うて漂泊することをもって理想としている文化的風流論者らしい。いずれにしても好きで買いたいと言った者は久米氏一人だけで、原稿収入の多いといわれている菊池氏ですら、『スターとかシボレーなどは中古なら千円も出せば買えるから、僕らにも自動車を持つことが身分不相応なことでもなくなりかけている』と言って、買いたいという積極的な意向を示していない。
 上司小剣氏は憎みたくないと言って、自動車を弁護している唯一の人である。 文士以外、ただ一人、警視庁交通課長藤岡長敏という人が、専門の立場から現在の交通事故の問題を自動車を中心にして語っている。これはわが社の高野氏がとってきた談話筆記だが、いりいろ数字を挙げて説明している。交通課長の談話だから、とみろん自動車が、好ききらいの問題ではなく、厳たる東京市の交通地獄の実情と、その原因の分析である。
 交通課長は東京市の悪道路を認めて上で、その上を一千台の市内電車、九千余の自動車が馳せ違い、十二万台の荷車、荷馬車がのそのそ歩いている。その中を二十余万の自転車が飛びまわっているという。しかも一方で、到るところで電車軌道の修繕工事をしているし、ガス・水道・下水と次から次へ堀り返して行く。道路は片側しか使えないところが多い。その上車道の舗装がなく、あっても不完全なため車という車は全部電車軌道の上を通りたがる。だから交通事故が現在のままに止まっているのは不思議なくらいだと交通課長はいうのである。そして震災後六カ月間の事故統計を示しているが、それを要約すれば、この六カ月間に九○人の死者を出し、三、一三二人の負傷者を出した勘定になる。言いかえれば電車、自動車、その他諸車は、毎日一七件の傷害、二日に一件の殺人を行なっていると交通課長は説明している。さらにこの多数の交通事故のうち、自動車によるものが約五割強だと言うのである。
 なお東京市では、自動車は一カ月約三百台ぐらいの増加率でふえているそうで、その割合で事故がふえると大変なことになると交通課長は心配するのである」



史料
現代語訳や解説については下記を参考にしてください
『詳説日本史史料集』(山川出版社)
『精選日本史史料集』(第一学習社)
『日本史重要史料集』(浜島書店)
『詳解日本史史料集』(東京書籍)