(s1246)
「本土空襲」 |
『東京大空襲』 |
「直撃弾は、つぎつぎと、私たちの前後左右に落下する。まるで障害物競争のようだった。地面につきささって発火する焼夷弾の横をすりぬけ、道ばたにたおれている死体をまたいで、私たちは、ただやみくもに走った。 焼夷弾の一発は、走っていく私のそばの女の左肩をかすめて、すぐそばの電柱に命中、突きささって、ぱっと光の矢をまき散らし、たちまちのうちに、一本の火柱になる。 人家の屋根が火を吹き、板塀が燃え、工場のモルタルの倉庫まで、火に包まれる。ガラスも溶け、鉄の窓わくが、真っ赤になって、ぐらぐらとのたうっているさまのおそろしいこと。中川と北十間川にはさまれた吾嬬町は、工場も多く、ねらいうちにされているのか、闇空をつきぬける火柱が、あちこちにそそりたつ。 火と煙から逃げて、私たち一家は無我夢中で、迷路のような路地裏を走りまわったが、息せききって出てきたところを見れば、なんとおなじ元の場所だった。 「しまった!」 と、父は舌うちした。 「おれたちは、火にかこまれたな」 そういう父の声をさえぎらんばかりに、ガラガラと柱のくずれおちる音、屋根や天井の焼けおちて落下する反響音もすさまじく、熱風がもろに吹きつけてくる。まるでふいごのように、黒煙と火焔は、北風に乗って、路上せましと暴れ狂ひ、地上のありとあらゆるものをなめつくすかのよう。 もうこうなると進退きわまった感じ。神にでも祈るよりほかにない。ひょっとして、『神風』が吹いて、この風むきを一挙に変えてくれないものか、と私は考えたかもしれぬと思う。当時私たち少国民は、日本は万世一系の天皇をいただく神国だから、いざとなれば神風が吹く、と、学校で耳にたこができるほど教えられていたのである。だが、その神風のかわりに、猛火の中で一すじの、わずかに黒ずんだとこを発見したのは姉だった。 それは、曳舟ー亀戸をむすぶ東武線の線路だった。 鉄道線路にそった人家は、まだ燃えていない。上り下りのレールにはさまれた中央部分は、両がわにひしめいた家なみなら、ある程度の間隔がる。 「よし、これを、突っぱすろう!」 父はいい、貯水糟の水を鉄カブトにすくって、私の頭からぶちまけた。その感覚は、すでに記憶にないが、水槽の水面にゆれていた緋鯉のような赤い色、炎の乱反射だけは、いまも忘れることはできない」 |
現代語訳や解説については下記を参考にしてください |
『詳説日本史史料集』(山川出版社) |
『精選日本史史料集』(第一学習社) |
『日本史重要史料集』(浜島書店) |
『詳解日本史史料集』(東京書籍) |