回答004
>就職の面接で大石内蔵助は忠臣であるか、ないかと言う討論をすることになり、 >忠臣でないほうに割当てられたので、大石内蔵助について教えて下さい。 なかなかユニークな取り組みですね。 「忠臣」という言葉の定義ですが、封建時代自分の主君に忠義を尽くす家臣 という意味です。浅野内匠頭の家臣近松勘六は「直臣」ですが、勘六の足軽の 甚兵衛は内匠頭からは「陪臣」です。甚兵衛からは勘六が主君ということにな ります。 内蔵助が主君の内匠頭の「仕損じたことを身代わりとして成し遂げた」という ことであれば、立派な忠臣です。明治初期フランスの法学者ボアソナード(例の 民法典論争で教科書に登場)の弟子であるモズロベールが赤穂の花岳寺に来て 「ナポレオンよりも忠義である」と言ったという。ナポレオンは最後は己のために 働いたが、内蔵助は最後まで己を捨てたという意味です。 うーん、忠臣でない内蔵助というイメージは主君のためにならないことを 結局はしたということを証明しなければなりません。残念ながら今のところ そのような史料は見つかっていません。 あなたの質問の「内蔵助について教えて下さい」ですが、この場合の内蔵助は どうしたかとか、どう言ったとか、具体的に指摘してもらえばもう少し史料的に説明 できると思います。私の6月14日更新のホームページを見て貰うと一部内蔵助 像がイメージ化出来ると思います。 |