質問7

 突然のメールを失礼いたします。
 早稲田大学第一文学部文芸専修に所属する学生です。
 論文のテーマに次のことを考えています。

 私は忠臣蔵に深い興味を持っているのですが、以前から一
つ疑問になっていたことがあります。今回貴ホームページを拝
見して、忠臣蔵への深い知識を感じ、失礼ながらその疑問を
お聞きいただきたく存じました。

 疑問というのは、赤穂浪士連の討ち入りの際における赤穂・
吉良双方の武装のことです。彼らは刀、槍、弓を携えていたよ
うですが、銃火器を持ってはいかなかったのでしょうか? 吉
良方にしてみれば、銃声で事が公になれば何処からか庇護が
もらえたかもしれないと思うのですが。江戸幕府から銃砲の所
持や使用が禁じられていたのでしょうか。太平の世では銃火
器が非常に高価なものになっていたのでしょうか。

 もし御存知でしたら、この理由をお教えいただきたく存じて
おります。失礼致しました。

質問者
早稲田大学学生 M。K