| 教科書に見る山鹿素行と赤穂事件 | |
| 義士研究家・元赤穂高校教諭 有政一昭 | |
| 【1】赤穂事件(広義の忠臣蔵)とは | |
| 1 | 300年経過しても人気を保っている忠臣蔵を私たちは享受しています。これを今後も継承する意味と、その方法を考えてみたいと思います。 宮澤誠一氏は、『近代日本と「忠臣蔵」幻想』の中で、「赤穂事件という出来事そのものの小ささ」と表現しています。 それでは、高校の日本史教科書(19冊)を調べてみましょう。Rとは、19冊の教科書すべてに取り扱われていることを意味します。 1653年、R山鹿素行(32歳)は、赤穂に来て、赤穂城二の丸廓虎口の縄張りをしています。 1666年、山鹿素行(44歳)は、O『聖教要録』を出して、「今のR朱子学は役立っていない」と批判して、赤穂に流罪となります。この時、素行の先生である北条氏長は、「これより直に赤穂流罪を命ずる。実家に連絡したければ許す」と命じました。素行は「私はいつも家を出る時は、心残りがないように心掛けているので、連絡する必要はありません」と応えました。これが武士道精神です。 |
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| 2 | 山鹿素行を迎えた大石内蔵助は、その時、8歳でした。 山鹿素行(54歳)が許されて、赤穂を出立した時、大石内蔵助は、17歳でした。 山鹿素行の教えは、人口10%の武士が武士たり得るのは、自分の職分を知り、農工商に対する指 導者としての規範(武士道)を確立するというものでした。 赤穂事件(広義の忠臣蔵)の人気の秘密は、当時の庶民・旗本・大名が支持したことにあります。 支持した理由は、武士(指導者)の一分(恥辱を晴らすこと)を貫いたことことにあります。これは素行 の教えを実践したことにあります。 現在、私達は、自分の分を知り、指導者としての規範(行動・責任の取り方)を実践することが求めら れています。 |
| 【2】山鹿素行と武士道 | |
| 山鹿素行と提唱し、大石内蔵助らが実践した武士道精神を、定着させ、継承することが私たちの使命だと思っています。 現在は、情報化時代です。情報化時代とは、ペーパーレス(紙を使わない)で、デジタル化して、情報を共有する時代です。 誰でも、どこからでも、お金がなくても、情報を発信できる時代です。地元でしか出来ない、自分しか出 来ない情報が求められている時代ともいえます。 | |
| 【3】情報化時代と忠臣蔵 | |
| 私は、情報化時代を確認するため、1996年にホームページをアップしました。 授業では、ホームページのソフトを使って、元禄時代をテーマに、自由に課題学習させました。多くの生徒が忠臣蔵、山鹿素行、大石内蔵助、赤穂観光マップなどに取り組みました。 写真部の生徒は、デジカメで、学校内の花を撮影し、ホームぺージにアップしました。ホームページ 写真部の別な生徒は、ビデオ・カメラで動画『高校生が見た忠臣蔵』を作成しました。ホームページ 進路の決まった英語の好きな生徒は、ALT(外国語指導助手)の援助を得て、英語忠臣蔵にも挑戦し、ホームページにアップしました。→ホームページ こうした情報化時代の作業を通じて、高校生は、難解な江戸時代や江戸時代の生き方・考え方を理解するようになっていきました。 | |