忠臣蔵の人気とその意味 (1)浅野内匠頭は、「この間の遺恨を覚えているか」と言って吉良上野介に切りつけた。これが刃傷松の廊下である。 (2)吉良上野介を治療した栗崎道有の証言により、老中の決定は「喧嘩両成敗」と裁定しました。 1.「先程は老中より、治療するように命じられました」 2.「ただ今、治療する必要はないと言われました」 (3)将軍徳川綱吉は、不公平な裁定を決定しました。 1.浅野内匠頭には、「場所柄もわきまえず、自分だけの恨みで刃傷に及んだことは不届きである。よって、切腹を申しつける」と命ずる。 2.吉良上野介には、「場所をわきまえ、手向かいしなかったことは、けなげで感心である。大切に保養しなさい」とねぎらいの言葉をかける。 (4)大石内蔵助と山鹿素行 1.幕府によって赤穂に流された山鹿素行は「主君の敵を討つために、死ぬことは、武士としての大義である」と説いた。 2.大石内蔵助は、「上野介を討ち取ることができなかった主君の無念の心は、家来として耐え忍ぶことはできない」と考えた。 3.大高源五も、「主君の敵をのんびりさせていることは、武士の道ではない」と考えた。 (5)身は切腹・お家は断絶の時の赤穂の様子 1.最初、赤穂の人は、餅をついて喜んだ。 2.その後、大石内蔵助が藩札を6分換えにしたと聞いて、赤穂の人は「このお城にこのようの措置をする人もいるんだなー」と赤穂浪士の行動を支援するようになる。 (6)大石内蔵助と堀部安兵衛の考えの違い 1.内蔵助の立場  @公平な裁きを主張して、「浅野内匠頭の弟大学によりお家再興をお願いします」と三度嘆願した。  A受城目付で大目付・荒木十左衛門は、「嘆願は聞き入れた。老中に言上しよう」と約束した。  B大石内蔵助は、荒木の約束を公約として、遵守する立場をとる。 2.堀部安兵衛は、「命を懸けて死んだ主君の志を遂げるしかない」と武力によって、不公平な裁きを解決しようと主張した。 (7)安兵衛をつき動かす江戸の庶民感情 1.安兵衛の鎮静に派遣された原惣右衛門と大高源吾は、江戸に入ると、「上方にて思っていたのと違い、安兵衛らの言うことはもっともである」と安兵衛らに同調する。 2.吉良上野介の屋敷が本所に移されると、江戸の庶民は「浅野の家来に討ち入りの時期がやってきた」と噂している。 (7)分裂の危機を救った浅野大学処分 1.堀部安兵衛らは大石内蔵助とは「離れて討ち入った方がよい」と同士を招集した。 2.幕府は、「大学の知行を没収し、広島本家に預ける」という決定をして、内蔵助との公約を破棄する。 (8)いざ討ち入りへ 1.上野介と懇意の羽倉斎や山田宗匠から「吉良上野介は、14日に在宅している」との情報をえる。    2.寺坂吉右衛門の記録には「大石三平より、上野介が今日帰宅したと知らせて来た」とある。 (9)討ち入りから切腹まで 1.江戸の庶民は「自分の手柄のように喜んだ」 2.討入り後の取り調べに、吉良邸隣の土屋主税は「火事装束のように見えたが、暗かったのでよく分からんない」と述べた。 3.内蔵助らを預かった大名の細川綱利は、「十七人の勇士たち」と絶賛した。 4.学者の室鳩巣は、「主君の仇を討ち取ったことは今までに聞いたことがない。忠義の気が満ち満ちている。赤穂の武士道を育てる風土の厚さがよく分かる」と主張している。 (10)四十六士の処分 1.当時、高田郡兵衛の伯父が「5人以上が相談した場合、それは徒党で一族滅ぶ」と言っているように、徒党の罪に対しての罰は獄門である。 2.庶民・旗本・大名・学者が赤穂浪士を支持するので、将軍徳川綱吉は苦悩する。 3.荻生徂徠は「武士の礼で切腹を命ずれば、かれらの忠義を軽るんずることはない」と助言した。 (11)喧嘩両成敗の貫徹 1.幕府は、大石内蔵助らに「徒党して上野介を討ち取るということは重罪である。そこで切腹を申しつける」と命じた。赤穂浪士が赤穂義士になった瞬間である。 2.吉良上野介の子・義周に「赤穂浪士が上野介を討ち取った時、そなたの行いは道義にはずれて、けしからなかった。そこで、領地を没収して、諏訪に預ける」と命じ、吉良家のお家断絶を宣告した。