体験 的パ ソコ ン論
初めてのデスク型DOS/Vパソコン
・パソコン通信に加盟→1ヵ月後に脱盟
・双方向性のインターネットに再加盟

【008】IBMのAptiva
(1)その時代(1996年以降)


 私は「妻一筋、NX/C一筋でいく」と約束していながら、dBASEVPLUSの限界を感じ、パソコン通信がしたくて、PC98を捨て、DOS/V機種に本気で浮気をしてしまった。
 なぜDOS/V機種なのかというと、理由が2つある。1つは色々なことで企業をよく訪問することがある。三菱電機ではアプリコットというパソコンを生産していながらNECの製品が事務所に並んでいた。東芝もリブレットというパソコンを生産しているのに、ここでもNECであった。

IBM互換機(DOS/V)は歴史の趨勢
しかしいつも開拓者はつらい

 しかし1996年代になると、三菱の会社ではアプリコット、東芝ではリブレットがNEC製品を駆逐した。その理由は山形庫之助著の『DOS/Vパソコン人門』の本を読めば理解できる。山形氏はこう結論づける。
 「日本のパソコン市場の規模は年間約200万台です。NECのシェアはその約半分ですが、世界のパソコン市場はほぼ2000万台です。単純に考えれば、NECの生産規模は世界のAT互換機の約20分の1にしかなりません。量産による規模の経済(ハードウエアのコストダウン効果)を考えれぱ、NECに到底勝ち目はないとみるのが常識的な見方でしょう」「技術面から考えると、NECは自力に頼るしかありませんが、DOS/V陣営では、IBMからの公開技術情報に基づいて世界中の技術陣が(技術・価格面で)必死の競争を長いこと続けてきているので、ここでもNEC側は当然不利です」というものだった。
 10台のうち7から8台がNEC製品という時代に、私は企業での体験と山形氏の論文を参考にした。そして、いつも登場する「知人」のデジカメやスキャナを使うにはDOS/VではIBMしかないというアドバイスで、初めてDOS/Vパソコンを購入した。多くの人から「なんでIBMパソコン!?」と有言・無言のヒンシュクを買ったが、「知人」のアドバイスと私の選択の正しさは現在なら周知の事実となっている。

2)魅力<BR>
 ハードディスクは4ギガバイト(教科書4000冊分)、メモリは48MB,CPUはペンティアム150メガヘルツで、WINDOWS95がはいった。処理速度は速いし、容量は大きいし、遊びは広大である。ソフトとしては、ワープロ(一太郎やワード)、表計算(ロータスやエクセル)、データベースとしてアクセスの使用が可能となった。またOCRは勿論、スカジボードを増設することでデジタルカメラやスキャナから写真・絵などの画像の取り込みが可能となった。
驕(おご)るNECは久しからず
パソコン通信(NIFTY)の威力にびっくり
 当時流行のパソコン通信に加盟する事にした。しかし、PC−VAN(NEC)とNIFTY一serve(日商岩井と富士通)では加盟人数は同数だがなぜかやっている人はNIFTYに加入している人ばかりという不思議な現象にでくわした。そこで色々調べて見ると、NIFTYは実数だが、PC−VANはNECのパソコンを買った人を自動的に加盟者としていることが分かった。驕るNECの姿が垣間見えた。と同時にNECの凋落を予想した。
 その結果、私は迷わずNIFTYに加入した。とくにフォーラムでは自分の主張を掲載すると、遠くは北海道、近くは私の住む相生市内の同好の人から、早い場合はその日の内に返事が届いた。変な趣昧ではないが、毎日のぞくのが楽しみだった。

(3)課題
データベースソフトdBASEVPLUSの終焉
マイクロソフトのウインドウズ時代へ
 dBASEVPLUSを発売していた会社はロータスを発売している会社に吸収され、ロータス社はアプローチというデータベースソフトを発売しているので、結局WINDOWS3.1で動くソフトは発売されたが、マニュアルも2〜3種で店頭で見つけるのも苦労する状態となり、95で動くdBASEソフトはまだ発売されていない。
 情報処理に関しては、98ノートのMS−DOSを使ってdBASEVPLUSに固執するか、IBMアプティバの95を使ってワード・エクセル・アクセスのマイクロソフト陣営でいくか、まだ踏ん切りがつかない。というのも、まだアクセスでdBASEVPLUSと同じプログラムを組んだ人に出会っていないし、私自身新しい抜術を身につける時間的余裕も体力もないからだ。
限定的なパソコン通信を1ヶ月撤退
世界性・双方向性・共有化のインターネットに加盟
パソコン通信に関しては、平成8(1996)年8月末からやりだしたが、1カ月後には、断片的な情報の交換や組織的な業者が入力したデータを受信するだけに限界を感じ、また私が蓄積してきた膨大な情報の共有・交換という目的から大きく離れていることに気ずいた。そうこうしている内に相生布内の業者がインターネットのプロバイダーを10月から開始するという記事を新聞で見て、シフトを変更して、パソコン通信からは撤退した。私の選択の正しさは現在なら周知の事実となっている。
(4)ここで学んだこと
驕る平家は久しからず
自由競争社会こその厳しさ・面白さ
伸びる企業は情報を共有
 DOS/Vで世界の趨勢を誤った天下のNEC、パソコン通信で努力を怠り実数を偽った天下のNECの罪は重い。技術のソニーを過信して敗退したベータ戦線。ブランドにあぐらをかいてきたキリンラガーの没落。自由競争を排除しゲームソフトの独占をしプレステ2に後塵をはいした任天堂。「パソコンは私の眼の黒いうちは認めない」という時代錯誤の創業者の意向を克服できなかった松下のパソコンの後発性など…。
 今も第一線にいる企業もチャレンジ精神失い、現状維持を姑息な手段で図ろうと知れば、これらの教訓が身に振るかかる。そして消費者はよきライバルのいる状態を常に望むものである。
 色々な企業を訪問して得た教訓を多いが、特にペーパーレスとインターネットやランを使う情報の共有化がその最たるものである。伸びる企業はインフラが進んでいた。他方学校現場を見ると、教材は私物化されて、個々に死蔵されている。伸びない企業の典型である。

このパソコン論は『研究紀要第44号』(兵庫県社会科研究会、1997年発行)と『兵庫教育』(兵庫県教育委員会、2000年発行)などを基に展開します。