体験 的パ ソコ ン論
デジタルカメラの革命性
・ペーパーレスで写真屋さんから独立
・パソコンで自由・自在に加工

【009】デジタルカメラ(カシオQV10)
(1)その時代(1996年以降)


 子供たちが少年野球を卒部して大学生などになっても保護者の年2回の懇親会は続いていた。1996年4月末の祝日にバーベーキューをした。そのときいつも登場する「知人」が珍しいカメラを披露した。その場で写してその場で見れる。気に入らないとその場で消去する。その時の衝撃は今も鮮明に覚えている。その名はカシオQV10であった。

@デジタルカメラで撮影した当時の写真
2000年にデジカメがフィルムカメラを凌駕
デジカメの革命性
写真に対して主体的になれる
  「パソコンに取り込んで印刷も出来る」とその「知人」は言う。私には信じられない言葉であった。翌日には、その言葉をこの目で確認するために「知人」の家を訪問した。その場で撮影した写真がその場で印刷されて、私の手の中に納まった。その感触はまさに革命的であった。
2)魅力
アナログ写真の問題点
写真に対して従属的
 従来のアナログカメラはフィルムに保存する。フィルムは写したり消したり出来ない。フィルムは高いので、全部写し終えるまで写真屋さんには持っていけない。最大で36枚撮りなので予備フィルムをたくさん持参する必要がある。そのため季節外れの「芸術作品」が手元に届くことになる。
 写真屋さんに持って行く手間と時間がかかる。プライベートな作品なのに多くの人の目に触れる。自分好みの色に出来ない。ピンボケや逆光の不良品がチェックできない。出来上がるまでに時間がかかる。
 写真屋さんにとりに行く手間と時間がかかる。帰ってきた作品のトリミングが出来ない。写真の整理に膨大な手間がかかる。必要な写真を取り出すのに苦労する。
デジカメの革命性
パソコンとデジカメは相思相愛関係
自分で自由(主体的)に情報処理化(処理・整理・加工・印刷)が可能
 デジカメの革命性とは@フィルムが入らない(フィルム代を気にする必要がない)A液晶画面で撮ったばかりの画像を、その場で確認が出来るB何度でも撮り直しが可能であるC128MBのメモリーカードには約920枚(ノーマルモード)以上が記録できるDパソコンに取り込むことが出来る。などがある。
 パソコンに取り込むことで、自分で自由に処理できる。例えば色を変えたり、トリミングが出来る。
 パソコンに取り込んだ写真は自分で自由に情報処理化できる(ペーパーレス化・ネットやランによる情報の共有化)。
 パソコンに取り込んだ写真は自分で自由に加工して即印刷も出来る。例えば暑中見舞い、カレンダー、年賀状、普段に季節感あふれるお便りに使える。最近12月には珍しい雪が当地(兵庫県相生市)を襲った。2日後、当地より北へ30分の知人(赤穂郡上郡町)から早速雪とツララの便りが届いた。
3)課題
画素(ドット)数が少ない
決定的瞬間の写真が撮れない
 当時のデジカメは革命的ではあるが、画素数が極端に少なく、当時のデジカメで撮影した@写真を見ると緑色が強すぎ、また画像が不鮮明なのが分かる。アナログ写真の画素(ドット)数は1千万点であるが、当時のデジカメは25万画素(ドット)で40分の1の差がある。
 シャッターボタンを押してから写真が記録されるまで時間がかかる。そのため、動きの少ない集合写真や花などには優れた機能を示す。しかし、スポーツやイベント、子供など動きのある対象に対しては決定的写真が撮れない。

(3)ここで学んだこと…企業トップの責任は重大

デジカメの革命性を予見(1996年)
デジカメの生産が従来フィルムカメラを凌駕(2000年)
デジカメはデジタル家電の三種の神器(2003年)
デジカメの革命性を予見できぬ企業トップの責任は重大
 私は1996年の段階で「知人」がデジカメの写真をパソコンに取り込み、加工して印刷するのを体験したとき衝撃を受けたことは先述した。デジカメによって個人が写真に対して主体的になれると感じたからである。これは個人の生活や考え方を革命的に変えると考えたからである。
 この考え方は現在正しかったと証明している。まずデジカメの生産が従来のアナログ写真機を上回ったこと、年賀状をパソコンで印刷するインクジェット紙が従来の普通紙を上回ったこと、デジタル家電の三種の神器の1つにデジカメが入っていることなどである。
 デジカメのブランド別シェア(左図の円グラフ)を見ると、オートフォーカスで衝撃的な発展を遂げたミノルタが上位にはいない。それどころか、コニカミノルタと社名が変更されてしまった。その原因を企業トップは「デジカメへの参入の遅れ」と発表していた。その結果多くの従業員がリストラされてしまった。オリンパスやキャノン・富士フィルムなど企業トップがデジカメの革命性を理解して率先的に取り組んだのとは大きな差である。企業トップの責任は重大である。

このパソコン論は『研究紀要第44号』(兵庫県社会科研究会、1997年発行)と『兵庫教育』(兵庫県教育委員会、2000年発行)などを基に展開します。

追伸
 パソコンを通さず、直接プリンタで印刷できるデジカメについての質問がありました。
 カメラメーカーでデジカメとプリンタを製造し、パソコンは製造していない企業があります。そんな企業は苦手なパソコン分野を除外して利潤を得ようとすることは十分考えられます。
 私の革命性というのはパソコンを通すことで、デジカメのメリットを引き出すと同時に、パソコンにより情報処理化(ペーパレス、ランやネットによる情報の共有)が可能になるという2点です。
 最近見たプロジェクトXのカシオQV10の番組でも、解散させられたプロジェクトチームの1人が電気店で販売を担当しており、消費者の気持ちを代弁して「パソコンに接続できるなら売れる」と言っていました。
 私の知っている写真屋さんは、フィルムカメラ時代と同じことではやっていけないと、パソコンソフトであるアドビフォトショップを駆使して高度な技術を身につけていました。若者もそれを見て感動していました。この姿が発展する1つの方向を示していると思っています。