動画忠臣蔵の完成 | ||
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【029】動画忠臣蔵に向かわせたもの |
1996年 |
写真(A) |
(1)初めて、IBM社のDOS/V(アプティヴァ)を購入しました。 (2)初めて、ニフティのパソコン通信に入りました。 (3)すぐにパソコン通信の限界を知り、初めて、117ネットのインターネットに入りました。当時は電話回線でした。 (4)初めて、忠臣蔵のホームページをアップしました。タグ言語で入力しました。 (5)初めて、デジカメ(カシオのQV10)を購入しました。 (6)司波幸作著『元禄赤穂事件の舞台』を読んで、初めて、妻と全国の忠臣蔵史跡めぐりに出る。 |
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1997年 |
写真(B) |
(1)初めて、デジタルビデオカメラを購入しました。 (2)電話回線のインターネットに限界を感じて、初めて、117ネットのISDNに入りました。 |
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1998年 |
写真(C) |
(1)初めて、『忠臣蔵新聞』というタイトルのホームページをアップしました。 (2)初めて、IBM社のホームページビルダー3を使用しました。以降、ソフトとタグ言語の併用です。 (3)初めて、赤穂市役所幹部研修に招かれ、忠臣蔵についての講演をしました。 (4)川西市の市民講座で、忠臣蔵についての講演をしました。他の講演者は、上方芸能編集次長の森西真弓氏、関西学院大学助教授の森田雅也氏でした。 |
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1999年 |
写真(D) |
(1)初めて、ソニーVAIOの動画編集パソコンを購入しました。 (2)初めて、プロが使う動画編集ソフト(アドビ・プレミアム)を使いました。 (3)初めて、中学3年生対象のオープン・ハイスクール用に学校紹介ビデを作成しました。 |
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2000年 |
写真(D) |
(1)中学3年生対象のオープン・ハイスクール用に学校紹介ビデを作成しました。 (2)『忠臣蔵新聞』第100号をアップする。 |
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2001年 |
(1)文科省は、この年までに、小学生がホームページをアップ出来るよう、インターネットを整備しました。 (2)中学3年生対象のオープン・ハイスクール用に学校紹介ビデを作成しました。 (3)赤穂市制50周年を記念して、赤穂市長は赤穂高校校長に「観光ビデオ」の依頼をしました。 |
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2002年 |
(1)「観光ビデオ」(『高校生が見た忠臣蔵と赤穂』)が完成しました。 (2)内容は、高校生が質問し、専門家が答え、それをビデオ化するというものです。 (3)忠臣蔵と関係する赤穂の史跡めぐりをして、最後は、大石内蔵助が赤穂を去るまでを取り上げています。 |
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2003年 |
(1)『忠臣蔵新聞』第200号をアップする。 (2)「動画忠臣蔵」第1号をアップしました。大石内蔵助が赤穂を去ってから、討ち入り・切腹までを中心に取り上げています。妻がナレーション、知人が挿絵とBGMを担当しています。 (3)『高校生が見た忠臣蔵と赤穂』を講演用にリンクしました。 |
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2005年 |
(1)文科省は、この年までに、小学生が動画ホームページをアップ出来るよう、ブロードバンドを整備しました。 |
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2007年 |
(1)赤穂坂越公民館、たつの市中央公民館、赤穂塩屋公民館、赤穂御崎公民館で、忠臣蔵についての講演をしました。 |
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2008年 |
(1)赤穂中央公民館、丹波市書道会、姫路市夢前町、赤穂城西公民館で、忠臣蔵についての講演をしました。講演は、合計30回以上となります。 |
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2009年 |
(1)動画『忠臣蔵━人気の秘密に迫る』を完成する。 (2)妻と行った全国の忠臣蔵史跡めぐりのデジタルビデオテープは約215本(時間)になりました。 (3)忠臣蔵新聞は、この11月で第300号を迎えます。 (4)たつの市新宮町老人大学で、忠臣蔵についての講演をします。講演は、合215計30回以上となります。 |
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