文化庁農村舞台調査票(上三河)

市町名 南光町 調査員氏名 ● ●●
@名称 桜舞台 指定の有無 指定年月日 昭和50年9月3日
A所在地住所 南光町上三河 戸数 100戸 所在寺社 八幡神社
B
関係
団体
所有者(管理団体)名 南光町 代表者職・氏名 ■■ ■■(公民館長)
住所 佐用郡南光町 電話番号 ▲▲−▲−▲▲▲▲
操作伝承者・
生年月日
南光町 舞台操作技
術伝承の状況
舞台は皿回し式である。盆の下に24個の木車と長
い袖は回り舞台の振動を少なくする役目を果たして
いる。小屋裏回転機構がある。中二階が屋根裏か
ら吊り下げられ、回り舞台とは逆に回転する。
住所・連絡先 南光町
C
舞台
の現
況と
変遷
実測
デー
建物の間
口・奥行
舞台の間
口・奥行
軒高・床高 建物・舞台の形式 客席の広さ・状況
桁行5間
桁行5間
桁行(間)
梁間(間)
軒高(415cm) 建物(入母屋造り
茅葺き平入り)
舞台(舞台は皿回し式である。盆の
下に24個の木車と長い袖は回り舞
台の振動を少なくする役目を果たし
ている。小屋裏回転機構がある。中
二階が屋根裏から吊り下げられ、回
り舞台とは逆に回転する。)
1090×
1035cm
cm 床高(96cm) 舞台は皿回し式である。盆の
下に木車と長い袖は回り舞台
の振動を少なくする。小屋裏
回転機構がある。中二階が屋
根裏から吊り下げられ、回り
舞台とは逆に回転する。
状況(雨天時テント)。昔は夜露除け
にハゼアシに黒幕を張り巡らし、マ
ス切りして、1マスとして売っていた。
舞台
設備
回り舞台 楽屋 奈落(セリ等) 二重 床面拡張 花道 その他(遠見等)
南北に上下二段の太夫
座(半円形の「まわし」が
あって、舞台にせり出す)
皿回し式機構 奈落を利用 奈落、セリ、小
屋根回転式
二台、移動 左右にガッタリ 角度・状態
伝承
用具
大道具・小道具類 衣装・台本等
千畳敷き(8枚の襖絵が裏と表) 80歳位の人が持っている。先代萩、菅原伝授手習い鑑、忠臣蔵七
段目(セリを使う)。「芝居はヘタやが、舞台はエエゾー」と客席から
声が飛んだという。
現況・今後
の見通し
現在は南光町、昔は上三河地区が管理。建物が傾くと、回り舞台が回らなくなるので、修理が大変である。
屋根の葺き替えは、囲炉裏を使っていたときは耐用年数が30年と長かったが、現在は昭和55年に修理し
て来年(平成15年)が修理の年である。現在茅葺き職人は氷上郡に1人しかいない。
変遷 (棟札・文書・口伝・書籍等による歴史・変遷)天保年間に建立(南光町19集落全てに舞台があった。)し、
明治29年に現在地に移築する。その理由は中三河に大きな舞台が出来たので、上三河の山にあった舞
台を今のところに移して大きくしたという。費用は7町4反の村山の材木を売ったり、67軒から7石7斗4升
の寄付を集めた。最後の大人歌舞伎は昭和24年だった。くじで買い芝居か地芝居かを決めていたという。
昭和43年、昭和55〜56年に改築する。
D
舞台
を利
用す
る芸
能 ・
行事
現況 作東町が自前でしていたので、ここも地元の人で全てをまかなっている。三味線は山崎町から借りていた
かもしれない。衣装は山崎町の貸し衣装屋から調達していた。現在は小学校のクラブ活動として位置づけ
ているが、中学校にはない。女子が多く、後継者難となっている。いずれ社会体育活動としての位置づけ
が必要かもしれない。
変遷 明治の末頃は年に1回秋祭りに演じていた。最後の大人歌舞伎は昭和24年だった。くじで買い芝居か地
芝居かを決めていたという。
今後の
見通し
子ども歌舞伎が発展して、OBが組織化されると、可能性は広がる。公民館などのクラブ化も検討される。
E所見・特記事項・
参考資料・文献等
所見:貴重な舞台がある。歌舞伎は昭和24年に中断する。現在は小学生中心の子ども歌舞伎が盛大に行
われている。しかし、女子生徒が多く、後継者難である。いずれ公民館などの社会文化的な位置づけが必要である。
調査日 平成14年11月18日 聞き取り相手の氏名・年齢・役職等 ■■ ■■(53歳、公民館長)