(39)ホームページは見る側の立場で作りましょう
【1】同じサイズ(400×400)の写真と文字データを比較してみました。
写真A(8万6618バイト)
(1)写真Aは元の画像で、サイズは400×400→重さは(8万6618バイト)

写真B(1万6120バイト)
(2)写真Bは「Web用に保存」した画像で、サイズは400×400→重さは(1万6120バイト)

写真C(17万6559バイト)
(3)写真Cは文字を写真化した元の画像で、サイズは400×400→重さは(17万6559バイト)

写真D(5万5223バイト)
(4)写真Dは「Web用に保存」した画像で、サイズは400×400→重さは(5万5223バイト)

承知の由にて此方へ被参候間拙者大広間の方へ出候て角柱より六七間もあるへき所にて双方より出合、互に立居候て今日御使の刻限早く相成候義を一言二言申候処、誰哉らん吉良殿の後より此間の遣恨覚たるかと声を懸切付申候其太刀音ハ強く聞候得共後に承候へは存の外切れ不申浅手にて有之候我等も驚き見候へは御馳走人の内匠頭殿也、上野介殿是ハとて後の方江ふりむき被申候処を又切付られ候故我等方前へむきて逃んとせられし所を又二太刀程切られ申候、上野介殿其侭うつむきに倒れ被申候吉良殿倒れ候と大方とたんにて、其間合ハ二足か三足程の事にて組付候様に覚申候右の節我等片手ハ内匠殿小刀の鍔にあたり候故、夫共に押付すくめ申候、其内に近所に居合被申候高家衆并内匠殿同役左京殿なと駈付られ、其外坊共も見及候所に居合候もの共追々に駈来取押申候、さて最前倒れ被申候上野殿を尋候へ共一向に見へ不申、右の騒きの中に何人か致介抱引退候や其近所にハ見え不申候、後に承候へハ豊前殿(高家品川伊氏)・下総殿(畠山義寧)なと駈付て上野介殿を引起し候得共老人の手負故一向正気も無之候ヘハ、両人して引かゝへ御医師の間の方へ連行被申候由ニ御座候、 夫より内匠殿をハ大広間の後の方へ何も大勢にて取かこみ参り申候、其節
参考資料E(2000バイト)
(5)参考資料Eは文字をテキスト文字にして、サイズは400×400→重さは(2000バイト)
参考資料Eをページ 
【2】各写真・参考資料を検証しました。
(1)写真は写真で処理する以外方法はありません。
(2)同じサイズ(400×400)の写真と文字を比較すると、元の写真は文字の約88倍の重さです。
(3)同じサイズ(400×400)の写真と文字を比較すると、軽くした写真は文字の約28倍の重さです。
(4)文字を写真で処理した場合、重い上に不鮮明なことが立証できました。
【3】情報処理という視点で検証しました。
写真F
(1)「ソース画面」から必要なテキスト文字をドラッグ→クリック→「コピー」→「貼り付け」
誰哉らん吉良殿の後より此間の遣恨覚たるかと声を懸切付申候其太刀音ハ強く聞候得共後に承候へは存の外切れ不申浅手にて有之候我等も驚き見候へは御馳走人の内匠頭殿也、上野介殿是ハとて後の方江ふりむき被申候処を又切付られ候故我等方前へむきて逃んとせられし所を又二太刀程切られ申候
参考資料G
(2)参考資料Gは、写真Fから必要なテキスト文字を貼り付けたものです。
 これは有名は『梶川氏日記』の一部で、浅野内匠頭が松の廊下で、吉良上野介に刃傷に及んだ場面です。一度テキスト文字として保存しておれば、何度でも利用できますこれが情報処理です。