情報処理の魅力・威力(50)
忠臣蔵の神崎与五郎の調査・発表(1)━アナログ型
写真(1)文字や写真のデータ一覧
01 神崎与五郎(文字データ)
02 神崎与五郎(系図)
03 神崎与五郎(署名・親類書)
04 神崎与五郎(写真データ)
05 校区の地図
写真(1)
 写真(1)は、文字や写真のデータ一覧です。

写真(2)現地へ行って撮影
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写真(2)
 写真(2)は、現地へ行って撮影した写真です。
(1)取捨選択するためには、写真は多い方がよい。
(2)先生や地元の人に聞いたり、案内してもらって、色々な場所に行き、撮影します。

写真(3)図書館や図書室で調べ学習
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写真(3)
 写真(3)は、図書館や図書室で調べ学習して集めた情報です。
(1)正確な知識を得るためには、情報は多い方がよい。
(2)先生や情報に詳しい人に聞いたりして、色々な情報を記録したり、写真化します。

写真(4)写真をスキャン
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写真(4)
 写真(4)は、写真(3)の写真部分をスキャンした写真です。
(1)写真をスキャンして、発表などに加工して利用する場合、必ず、権利者に許可を得ます。
(2)スキャンした写真は、バッチ処理やリンクをして、利用しやすいように整理します。
リンクした写真の整理と活用←クリック

写真(5)はOCRテキスト
かんざき よごろう のりやす
神  崎 与五郎 則休 
徒目付 郡目付五石(役料)五両三人扶持 行年三十八才 匁利教劔信士
       みまさか                 もりみまさかのかみ
 与五郎は、美作の出身で、父のあとを嗣いで津山城主森美作守に仕えていたが元禄十年、森家の断絶に遭い、浪人となった。一説には、父の半右衛門のとき既に浪人となったともいわれる。ともかくも与五郎は、播州へ来て、赤穂藩浅野家に仕官、五両三人扶持を賜わり、役料として五石、横目付に任じられた。
 五郎は、文武両道に秀れ、好んで書を読み、詩を賦し、歌を詠じ、俳句を吟じた。特に俳句では、号を
江農舎竹平と称し、子葉(大高源五)、涓泉(萱野三平)と共に水間沾徳に師事し、赤穂藩の俳諧三羽烏とも称せられた。

 この像は、赤穂開城後江戸に出て、小豆屋善兵衛と名乗る町人に身をやつした与五郎が、吉良邸の門前に店を構え、火事と云っては屋根に登り、雨が漏る、風が吹くと云っては、屋根の上から吉良邸の中を見降ろして、敵情を探っていた苦心の姿である。
        (日展文展・入選十一回 目下寛治作)
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写真(5)
 写真(5)は、写真(3)の文字部分をOCRしたテキス文字です。
(1)OCRとは、光学式文字読取装置(Optical Character Reader)のことです。
(2)文字をOCRして、発表などに加工して利用する場合、必ず、権利者に許可を得ます。
情報処理化に必要な文書のデジタル化(OCR)(1)←クリック
情報処理化に必要な文書のデジタル化(OCR)(2)←クリック

写真(6)従来の方法(アナログ)でのまとめ
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写真(6)
 写真(6)は、従来の方法(アナログ)でのまとめです。
(1)写真や文章の情報を取捨選択し、まとめます。
(2)まとめには従来の方法(アナログ)と情報処理(デジタル)の方法があります。
(3)ここでは従来の方法(アナログ)を紹介します。

写真(7)従来の方法(アナログ)での発表
写真(7)
写真提供(有賀泰三さん)
 写真(7)は、従来の方法(アナログ)での発表です。